こんにちは。
今日は晴れました。
日中はまだ寒さも弱いので助かります。
『NIKE』のランニングシューズを取り上げています。
と言っても、ランニング目的では無くて、
あくまでファッション目的ですが!
次はこちらのモデルです。
NIKE AIRMAX 1
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「AIR MAX」シリーズの初代モデルです!
90年代頃からのハイテクランニングシューズ(本命は2010年頃でした・・)に注目している特集なので、
今回こちらを取り上げるかどうか迷いました。
時代的にも、デザイン的にも、少し前なんですよね、、、。
でも、
90年代頃からのハイテクランニングシューズも、この靴から始まった!
と言っても過言では無い重要なモデルだと思います。
また、
既に取り上げた他ブランドでは、70年代や80年代頃のデザインだってご紹介してきました・・・。(前科?)
なにより、
「オーソドックス」と「ハイテク」と「リュクス」が絶妙に入ったデザインは、最近のファッションにおいても十分に魅力を感じます!
実際に、近年のファッションブランドのスニーカーにも「エア マックス 1」の影響を感じるデザインがありましたよね!?
そして、
僕自身も履いていますからっ!(・・・?)
という事で、
やはり取り上げます!
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情報
まずは、「エア マックス 1」に関する情報をチェックします。
こちらの記事を読ませて頂きました。(感謝)
まずは「エア」の話から始める必要があります。
元航空宇宙エンジニアだったマリオン・フランクリン・ルーディは、スポーツ用シューズのソールの中に小さな空気のバッグを入れて衝撃を和らげるというアイディアを持っていました。
このエア バッグのイノベーションを23のシューズ会社に売り込みましたが、全てに断られました。
そして1977年、このアイディアをナイキの創立者の一人 フィル・ナイトに発表しました。
ナイトは、この空気のクッションの入った試作シューズを履いて本社の周りを試走に出かけると、これまでにないスムーズなライド感に興奮した様子でオフィスに戻ってきました。
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1978年、エアを最初に取り入れたランニングシューズ「テイルウインド」が誕生しました。
ここでマーケティングスタッフは、幅広く商品を展開する前に限定数を先行発売する事にしました。
高度な技術を備えたシューズを250足作り、ホノルルマラソン前にハワイのランニングストア6店舗に送ったところ、50ドルというこれまでにない高値にもかかわらず、24時間も経たないうちに売り切れました。
1978年、テネシー大学ノックスビル校の研究者たちは、「テイルウインド」を履いた10人のランナーにトレッドミルで走ってもらい、従来型のランニングシューズを履いた時よりも消費エネルギーが少ないことを発見しました。
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「エア マックス 1」のデザイナーとして有名なティンカー・ハットフィールドは、次のように話しています。
「ナイキは70年代に、これまでになかった多目的で高機能なシューズという、わかりやすく実用的なアプローチによって、スポーツデザインの頂点まで上り詰めました。
そして80年代になって、これがある意味停滞した状態となりました。
80年代中頃は形式張った階級制度から、もっとゆるいストリートをベースにしたインスピレーションを大事にする時代への移行期でした。
私はたまたま誰よりも早くフットウエアのデザイナーとしてこの変化に乗っていったと言えます。
この創造的な刺激からビジブル エアやその他のイノベーションが生まれ、〜初めてスポーツエンジニアリングとデザインカルチャーが深い意味で繋がったものと言えるでしょう。」
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こちらの記事では80年代当時の事も書かれています。(感謝)
NIKE/AIR MAX 1(ナイキ/エア マックス 1)1987|ランニングシューズの礎を築いた“名作”たち | RUNNING style
1982年頃より、ジョギングに代わる新たなフィットネスアクティビティとして、エアロビクスが爆発的にブレイクしていました。
そして「フリースタイル」を始め、ガーメントレザー(衣料用の薄く柔軟な天然皮革)をアッパーに使用した『リーボック』のエアロビクス専用モデルがスポーツとカジュアルの両方で大ブームとなりました。
1986年には『リーボック』が『ナイキ』を抜き全米シェア第1位となりました。
この話は、『Reebok』の時に登場していましたね。
シンプル&クリーンで、どちらかというとフェミニンな『リーボック』に対し、
「アッパーサイドにブランドの象徴スウッシュが大きく配された『ナイキ』のスポーツシューズは、1980年代中期のトレンドからは若干外れていた」
と評する業界アナリストも少なくありませんでした。
1987年、小さめのスウッシュを刺繍した「スタミナ」という『リーボック』に酷似したフィットネスシューズを発売するも、失敗。
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しかし同年、『ナイキ』はこれまでにない革新的なモデルを2つ発表し、業績を急回復させてシェア1位の奪回に成功しました。
1つ目は、複数のアクティビティを行うことでバランスの取れた筋力を得ることができるクロストレーニングに対応した「エア トレーナー」。
もう1つが、スポーツシューズ業界で初めてテクノロジーの可視化に成功した「エア マックス 1」です。
シューズ開発の陣頭指揮をとっていたトム・ハーチが発売当時の事を語っておられます。
「フットロッカーのバイヤーに見せたら、彼らの第一声ときたら「トム、赤い靴は売れないんだよ!」って。
誰も”ビジブル エア”のことには注目しなくてがっかりしたよ。」
と、バイヤーとのファーストコンタクトは開発陣の思い通りにはならなかったそうです。
しかし、それから現在に至るまで愛され続けている事が何よりの答えだと思います!
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こちらの記事には、これまで話題になった「Air Max 1」が紹介されています。(感謝)
コルク、Atomos Elephant、Patta、Sean Whotherspoon、の写真が見られます!
「エア マックス 1」についてこちらの記事も読ませて頂きました。
ハイテクスニーカーの歴史はここから始まった! 偉大なるナイキ「AIR MAX1(エア マックス1)」の魅力とは? | Fashion Tech News
1978年にリリースされた「エア テイルウィンド」では、踵に重心がかかったときにエアバッグにかかる圧力の逃げ場がないという問題点があったそうです。
当時、ティンカー・ハットフィールドは、デザインに煮詰まると世界中を旅して、インスピレーションを得ていたそうです。
その旅の中で訪れたパリのポンピドゥセンターの構造と配色を見て刺激を受け、思いついたのが”ビジブル エア”のデザイン、でした。
エアが見える空間を設けた事でエアバッグにかかる圧力の逃げ場となったのですね!
そして、エアバッグにより多量のエアを重鎮できるようになったことから、エアマックスに搭載されているエアバッグは「マキシマムエア」や「マックスエア」と呼称されることになりました。
そして、『ナイキ』はエアクッショニングシステムの履き心地の良さを訴求したかったので、あのビジブル エアは説得力を持たせるために必要なデザインだったようですね。
発売日の3月26日は「エアマックス デー」として世界各国でエアマックスの誕生を祝う行事が催されています!
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そして、こちらの記事も読ませて頂きました。(感謝)
3/26発売 NIKE AIR MAX 1 ’86 OG/ナイキ エア マックス 1 ’86 OG Big Bubble DQ3989-100 DO9844-100 | スニーカーラボ
2023年3月18日の記事です。
今年2023年3月26日に発売された「AIR MAX 1 ‘86 OG Big Bubble」は、1986年に発売されたオリジナルにより近いデザインで復活されました。
発売されて数ヶ月以内の「エア マックス 1」は、実はおなじみの標準モデルよりもひとまわり大きなウインドウを搭載していたのですね!!(驚)
後にウインドウを小さくした理由は、露出したAirユニットに低温化でひびが入りやすくなることが分かったから。
この問題をNikeのエンジニアが発見した時、すでにシューズの製造はスタートして発売日も迫っていました。
慌てたエンジニアは密かにラインを止めてウィンドウの長さと高さを縮小し、ひび割れない小ぶりなAirユニットに差し替えました。
そして発売日の1987年3月26日がやってきました。
店頭に並んだのは、直前の仕様変更が間に合わなかった超レアな「エア マックス ”Big Bubble”」です!(これが「約400,000足限定」なのでしょうね。)
初回のキャンペーン終了後、幻のオリジナルバージョンは密かにおなじみの「エア マックス 1」と差し替えられました。
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あらためて記事中の「2017モデル」と「2023モデル」を見比べると、
確かにウィンドウのサイズが違いますね!
そしてヒール周りのミッドソールのデザイン、
アッパーのヒール周りのデザインも、
違いますね!!
こんな違いがあったのかぁ。(学)
そういえば、『Reebok』の「Instapump Fury」にもこういう話がありましたね。(笑)
当時は発表を急ぐくらい、熾烈な競争が起きていたのかもしれませんね!?
今回はここまでです。
ではでは。
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