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ファッションにランニングシューズを! (221) NIKE ⓪ 歴史

 こんにちは。

 昨夜分の公開が飛んでしまいました。

 あらためまして、

 

 こんにちは。

 今日は曇りで、夜は雨も少し降っています。

 気温もグンと下がった感じで、寒かったです。

 

 流石に冬靴の気分となってきたのですが、

 ランニングシューズ特集もラストスパートに入ってきたので、

 頑張って続けます!

 僕はファッション目的ではありますが、

 本当に走られる方々は冬に走っておられますよね。

 マラソンとか駅伝とかもこれからですし!

 

 最後はこちらのブランドです!

NIKE

 僕も好きなブランドで、色々着用していますが、

 今や世界一のスポーツブランドなのですね!(王)

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 まずは歴史からです。

 こちらを読ませて頂きました。(感謝)

ja.wikipedia.org

qkaku.com

www.sojitz.com

tengusneaker.com

ja.wikipedia.org

 あと、こちらの本も読みました。

 

 『NIKE』の創業者フィル・ナイトは、オレゴン大学を卒業後、スタンフォード大学ビジネススクールMBAを取得しました。

 スタンフォード大学時代に日本のランニングシューズに注目し、それをビジネスにするというアイデアを思いつきます。

 因みに、当時は『adidas』と『PUMA』が世界の市場を席巻していました。

 

 1962年、日本を訪れて『鬼束株式会社(現『ASICS』)』からアメリカでの代理店契約を取り付けました。

 まだ大学を卒業したばかりのナイトは、『ブルーリボンスポーツ(BRS)』社の代表であるという嘘をつき、50ドルの前払金を払って、サンプルを送ってもらうよう約束しました。

 

 サンプルを受け取ったナイトは、それをオレゴン大学陸上部時代の恩師ビル・バウワーマンに送ります。

 バウワーマンは、大学のコーチだけでなく、1964年の東京オリンピックのコーチを務め、1966年には「JOGGING」というランニング本を執筆するなど、著名な人物です。

 1964年、バウワーマンと共同で『ブルーリボンスポーツ』社を設立しました。

 

 1964年、アメリカでの販売権を他の会社が主張した為、再び日本を訪れました。

 創業者・鬼塚喜八郎はナイトの情熱的な姿に昔の自分を思い出し、『ブルーリボンスポーツ』社のアメリカでの販売権を認めました。

 

 1967年、『オニツカ』はバウアーマンのアイデアを取り入れた「TIGER CORTEZ」を発売し、大ヒットしました。

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 セールスは順調に伸びて行きましたが、資金繰りには常に苦労していました。

 

 アメリカでの『TIGER』の好調を見て、『オニツカ』は『ブルーリボンスポーツ』に買収を提案します。

 これを断ると契約を打ち切られると察したナイトは、自分たちでブランドを作る事を決心します。

 1971年、『オニツカ』の代理店契約終了と銀行からの融資継続拒否を告げられ、資金切れを起こした時、『日商岩井(現 双日)』が支援しました。

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 ブランド名は、さまざまな候補の中から勝利の女神を意味する『NIKE』に決定しました。

 

 シューズのサイドに付けられる「ロゴ」については、ナイトが会計学の臨時講師をしていたポートランド州立大学の生徒だったキャロライン・デヴィットソンに頼み、「SWOOSH」が誕生しました。

 わずか1ヶ月、35ドルで出来上がったのです。

 その後キャロラインは『NIKE』で働く事となり、

 1982年のある日、ナイトから100万ドル相当の『NIKE』の株券と、金とダイヤモンドで作られた「SWOOSH」デザインのリングをプレゼントされたそうです。

 

 創業当初はメキシコの工場で生産していました。

 1972年、高品質なシューズを生産するために『日商岩井』の仲介で、『オニツカタイガー』の競合社である福岡県の『日本ゴム(現 アサヒシューズ)』でトレーニングシューズの生産を開始しました。

 

 一方で、『オニツカ』は提携終了後もバウワーマンの名付けた「CORTEZ」の名称を使用していたため、裁判を起こしました。

 1974年に決着し、『NIKE』は「CORTEZ」の使用権と1億数千万円の和解金を得ました。

 なお、「タイガー コルテッツ」は「タイガー コルセア(現 アシックス コルセア)」に名称変更されました。

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 1978年、ソールに「エア」を搭載した初めてのシューズ「テイルウインド」を発売しました。

 

 1981年に『日商岩井』と『NIKE international』、『ナイキ ジャパン』を創設し、世界40ヵ国以上で海外販売も開始しました。

 

 80年代は、活躍著しいランニングシューズ業界だけでは無く、他のスポーツシューズも次々と世に送り出して行きます。

 特にバスケットボールシューズへの参入はスニーカー界の運命まで大きく変えました。

 70年代からすでに「BLAZER」等を展開していましたが、

 1982年、「AIR FORCE 1」をリリースし、コート上だけでなくストリートでも一大ムーブメントが起こりました。

 

 とはいえ、当時のバスケットボール業界を牽引していたのは『CONVERS』、『adidas』でした。

 

 1984年、シカゴ・ブルズに内定していたマイケル・ジョーダンがロサンゼルス五輪でチーム得点王となり、金メダル獲得に大貢献しました。

 『adidas』との契約を考えていたジョーダンに対し、『NIKE』は「AIR JORDAN」という特別なシューズとアパレルを製作し、破格の契約金とロイヤリティ制度を用意して契約を結びます。

 最初のシューズ「AIR JORDAN 1」は、シカゴ・ブルズカラー黒×赤でした。

 

 1985年、「DUNK」が発売されました。

 大学バスケットボールの盛り上がりから、NCAA全米大学体育協会)バスケットボールリーグに参加しているチームのカレッジカラープログラム販売戦略として誕生しました。

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 1987年3月26日、ソールに搭載したエアが可視化された(ビジブルエア)「エアマックス 1」が発売されました。

 

 1989年、アウトドアライン「ACG」がスタートしました。

 All Conditions Gearの頭文字をとったコレクションは、アウトドアファッションでも大いに注目を集めました。

 

 1995年、「エアマックス95」が発売されました。

 初めて前足部のエアまで可視化されたデザインから大ブームとなり、ハイテクスニーカーの代表作として社会現象にまでなりました。

 

 2001年、藤原ヒロシとアースティック・コンサルタント契約を結びました。

 それまで「ファッション」という用語を禁止にするほどスポーツに特化したブランドだった『NIKE』も、90年代から軟化していき、この契約によって大きな方針転換をしました。

 

 2002年、スケートボードライン「NIKE SB」がスタートし、

 4カラーの「NIKE SB DUNK」がリリースされました。

 また、『Supreme』とのコラボタッグもスタートし、

 エレファント柄を採用した「Supreme × NIKE SB DUNK LOW」がリリースされました。

 

 2005年には、ステイプル・ピジョンとのコラボモデル「Pigeon DUNK」が発売されました。

 

 2009年、HIPHOPミュージシャン カニエ・ウェストとのコラボモデル「AIR YEEZY 1」がリリースされました。 

 カニエ・ウェストとの契約は2013年に終わりましたが、彼はその後すぐに『adidas』と契約し、さらなるスニーカーブームを引き起こしました。

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 2012年からは、『Reebok』に代わってNFLの公式アパレルとなりました。

 

 2017年、『OFF WHITE』とのコラボ企画「THE TEN」シリーズがリリースされました。

 

 2019年10月12日、ウィーンで行われたマラソンの特別レース「INEOS 1:59チャレンジ」で、世界記録保持者エリック・キプチョゲが「Alfafly Next %」を履いて出場し、1時間59分40秒というタイムを記録しました。

 このレースは国際陸連が非公認のため世界記録には認定されなかったものの、人類史上初めてフルマラソン2時間切りが達成されました。

 

 2019年、「Travis Scott Nike × Nike Air Jordan 1 」がリリースされました。

 

 2020年、MLB全チームの公式ユニフォームサプライヤーの契約を締結しました。

 これにより、北米4大プロスポーツリーグの公式アパレルを務める事になりました。

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 創業当初はランニングシューズから始ったのですね。

 革新的なアイデアから機能性とデザイン性に優れた製品を発表し続けてきました。

 その頃の話が本に書かれています。

 

 そして、

 バスケットボールではマイケル・ジョーダン

 ゴルフではタイガー・ウッズ

 サッカーではブラジル代表やネイマール、CR7、エムバペ、

 等々、新たに参入するスポーツ分野でもスーパースター選手の活躍と共に躍進してきました!

 

 さらに、藤原ヒロシ、Supreme、カニエ・ウェスト、トラヴィス・スコット、等々、絶大な影響力を持つ方々の協力を得て、ファッション面でも常に注目されるブランドとなりました。

 

 そうして世界一のスポーツブランドになったのでしょうね。

 

 今回はここまでです。

 ではでは。

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