こんにちは。
今日は曇り時々雨。
今朝は涼しくて、その後もそこまで暑くならずに済みました。
九州の雨が心配です。
被害が出ないと良いのですが。
オリンピックが終わり、あらためて記憶に残っているシーンを思い出しています。
まずは、やはり大橋悠依選手ですね!
大会序盤からの偉業に気持ちがグンと上がりました!!
しなやかで力強い泳ぎが本当に美しくて。
そして順位を確認した後の笑顔が眩しいくらい美しくて!!
感動をありがとうございました!!!
前回の続きです。
オールデンの白いドレスシューズを取り上げ・・ようとしています。
その前に、前回はオールデンの歴史を見ました。
1884年の創業以来、時代の荒波にもまれながらも職人による高品質な靴作りを守り続けてきました。
そうして作られた靴も、売れなければブランドを継続できませんよね。
そこで、次にファッション的な歴史も見てみましょう!
タッセルローファー
こちらの記事を読ませて頂きました。
アメリカントラッドの代表的アイテムの1つであり、クラシカルなローファーとして今なお人気の高いタッセルローファー。
そのオリジナルと言われているのが実はオールデンです。
ブランドを代表する名靴の1つですよね!
タッセルローファーの誕生は1948年。
そこには1つの物語があります。
ハリウッド俳優のポール・ルーカスはイギリスの国王エドワード8世(退位してウィンザー公)が履いていたタッセル紐靴に憧れてイギリスで同タイプの紐靴をオーダーし、持ち帰りました。
ギリーシューズのような感じでしょうかね??
その靴をニューヨークの靴店『Farkas&Kovacs』に持ち込み、もっとシンプルにした靴を作れないかと相談したそうです。同店は要望に合った靴を作ったもののフィッティングに難がありました。
更にルーカス氏はニューヨークの『Lefcourt』とビバリーヒルズの『Morris Bootmaker』にも相談し、片足づつ預けました。この2件の店がオーダーしたのが偶然にもオールデンだったのです!
オールデン社長であったAuthur Tarlowはスリッポンにタッセルを付けるデザインを思いつき、世界初のタッセルローファーを制作しました。
ルーカス氏が喜んだのはもちろん、1950年にはオールデンのラインナップに加わりました。
余談
ウィンザー公のお名前が登場したのでちょっとググっていたら、
こちらの記事を見つけました!(感謝)
公爵が流行らせたアイテムの中に「ギリー・シューズ」の名前もありますね!(笑)
そして、まさに現代のトラッドスタイルのお手本ですよね!!(凄)
少し緩い着こなしが粋ですねぇ。
更に、
『夏のスタイル』の足元をよく見ると、
ホワイトバックス!!!!
プレーントゥダービーですね。
それにしても絵になります。(圧倒)
靴が効いていると思いますよ!!
話を戻します。
ブルックスブラザーズへ
こちらの記事を読ませて頂きました。
今でこそオールデンはファッション的な評価も非常に高い人気ブランドですが、
1950年頃までは知る人ぞ知るというくらいの地方メーカーだったそうです。
先のタッセルローファーの時も下請け的な感じでしたよね。
そんな地方のシューメーカーの知名度を飛躍的にアップさせたのが、アメリカントラッドの雄ブルックスブラザーズです。
当時オールデンの営業マンをしていたフロイド・ギルモアは、オールデンが1940年代に発表した「タッセルローファー」を提げてブルックスブラザーズへ猛プッシュしたそう!
ブルックスブラザーズはその靴に心奪われ、1957年に取り扱いを始めました。
因みにブルックスブラザーズ仕様は踵部にステッチ(フォクシングステッチ)が施されています。
これが東海岸で大ヒット!
学生時代にコインローファーを履いていた人々がビジネスユースでもローファーを履きたいと愛用するようになったそうです。
こうしてオールデン自体の知名度も上がっていきました。
そんなオールデンの靴の魅力を支えるあの素材も重要な歴史の1つです。
コードバン
オールデンの靴を個性的たらしめ、
足馴染みもよく、
エイジングも美しく、
履く人を虜にして来たのが、
コードバンの輝きでしょう!
そのコードバンを製造してきたのが世界最高峰のシェルコードバンを製造するホーウィン社です。
両社の関係については以前書きましたね。
60年代後半、なんとシェルコードバンが生産中止の危機にあったそうです。
その時にオールデンが2年分のコードバンを買い付けて救ったそうです。
その時の決断が無かったら、
現在もオールデン人気を支え続けているコードバン靴は無くなっていたかもしれませんし、
日本に入ってくる事も無かったのかもしれませんね。
非常に重要な決断でした!!!!(偉大)
そしていよいよ日本への上陸です!
今回はここまでです。
ではでは。