こんにちは。
今日も晴れました。
太陽が眩しいです。
前回・・は特別版でしたので、
前々回の続きです。
『MANOLO BLAHNIK』のスリッポンを取り上げようとしています。
レディースシューズで非常に有名なシューズブランドですが、
メンズシューズも!?
MANOLO BLAHNIK
Manolo Blahnik Carlton スエードローファー - ブラック
前々回は、ブランドの歴史の途中まで、でした。
スペインのカナリア諸島に生まれ、
ジュネーブ大学へ進学し、
60年代のパリ、そしてロンドンへ移り、
映画の仕事を目指してニューヨークへ渡りました。
しかし、
映画業界の人関係が自分には全く合わないことを知り諦めた、
ところまで書きました。
ここまでのところ、
幼少期のマヨルカ島でトカゲのために紙製の靴を作ったというエピソードくらいで、
靴に関する勉強や仕事の話は全く登場していませんね・・・。
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『マノロ ブラニク』の歴史について、以下の記事を読ませて頂きました。(感謝)
また、映画からの情報も読ませて頂きました。
映画「マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年(Manolo: The Boy Who Made Shoes for Lizards)」: monad
親友が語るマノロ・ブラニク (1/3) - T JAPAN:The New York Times Style Magazine 公式サイト
転機
1970年、パロマ・ピカソからUS Vogue編集長Diana Vreelandを紹介されます。
ダイアナに自身のスケッチを見せたところ、「靴を作りなさい」と伝えられた事が人生の転機となりました。
ダイアナから自信をもらったブラニクは、翌年にはロンドンの工場を訪問して靴作りを学びました。
1972年、『Ossie Clark』のコレクションにブラニクの靴が採用されました。
因みに、『オジー クラーク』は60年台のスウィンギング・ロンドンを代表するレジェンド級ファッションデザイナーです。
『オジー クラーク』との最初のコレクション「Quorum Black Magic」を発表した時、ブラニクは理にかなったデザインを製作する技術に欠けていました。
そして、厚いゴムのヒールを製作した際に中に鋼を入れ忘れ、歩く際に非常に痛みを伴うシューズを発表してしまいました。
当時のモデルたちはこのデザインミスについて「新しい歩き方の発明」と形容したそうです。
更に、ファッションチェーン店『ダミス』から靴の製作を依頼されました。
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1970年代〜80年代
1972年、コレクションデビューを果たし、『マノロ・ブラニク』が立ち上がりました。
1973年にはチェルシーにフラッグシップ店をオープンしました。
1970年代の靴はチャンキーなプラットフォームが主流でした。
そんな中、ブラニクは毎日履けるほど快適でなめらかなピンヒールを生み出しました。
「BBパンプス」はすぐに名品となりました。
UK版『VOGUE』のファッショエディターだったGrace Coddingtonの目に留まり、ほぼ毎号掲載されたことでどんどん知名度が上がっていきました。
1977年にはアメリカに進出し、『ブルーミングデールズ』で扱われてさらに知名度を上げていきました。
1983年、ニューヨークに出店し、『Oscar de la Renta』や『Calvin Klein』など、名だたるデザイナーのランウェイにシューズを提供するようになりました。
1990年、CFDA(アメリカファッションデザイナー協議会)と英国ファッション協議会の両方の「アクセサリーデザイナー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれました。
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1990年代
1993年のある日、
ダイアナ元妃がクリスマスプレゼントを買うためにロンドンの『マノロ ブラニク』のブティックを訪れました。
いつもは高身長を気にしてローヒールを好む元妃が、その日に限って黒のハイヒールを購入されたそうです。
のちに元妃は「リベンジ ドレス」の足元にそのヒールを合わせられました。
1993年、ジョン・ガリアーノは投資家との契約が終了し、コレクションをワンシーズン見送ることを余儀なくされました。
彼の窮状を救うため、パリでの復帰ショーでブラニクが手がけた靴も披露されました。
白黒でブローグのついたミュール「アガサ」について、ガリアーノは、モデルに少しみだらな雰囲気を加えたと評しました。
1998年〜2004年に放送されたアメリカのテレビドラマ『Sex and the City』で、
ファッションと靴オタクの主人公Carrie Bradshawが一番のお気に入りとしてマノロ・ブラニクの靴を挙げたことで知名度が飛躍的に上がりました。
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2000年代〜
2006年のSofia Coppola監督による映画『マリー・アントワネット』に靴を提供しました。
2016年、ロンドンに2店舗目となるショップをオープンしました。
2017年、リアーナとのコラボレーションを発表しました。
同年、自身のファッション・ドキュメンタリー映画『マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年』が公開されました。
現在は、ニューヨーク、香港等に直営店を展開しています。
イタリアにある4つの工場を稼働させながら、最終的なデザインの仕上げはブラニク自身が行っています。
本人も「私の靴には他の靴にないものがある、パーソナリティーだ」と語っておられます。
今回はここまでです。
ではでは。
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