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「王道の次」のスリッポンを探求! JIMMY CHOO (壱) ジミー・チュウ

 こんにちは。

 今日も晴れました。

 夏・・・が来た?

 まぁ、もちろん真夏の暑さでは無いのですが、

 このくらいで済んでくれたら嬉しいな。

 スリッポンの話に戻ります。

 今季の僕はスリッポンが気になっています!

 王道のローファーは以前特集したことがあったので、

夏だ、ローファーだぁ!? ① ローファー の歴史 - 靴と歩む、僕の...

 今回は「王道の次」と言えそうなスリッポンに注目しています。

 

 最初は『GUCCI』の「ホースビットローファー」からでした。

「王道の次」のスリッポンを探求! GUCCI ホースビットローファー (壱) - 靴と歩む、僕の...

 1953年に誕生した金具装飾を付けるというデザインにより、

 王道のローファーに比べて、

 華やかで、ファッション性の高いローファーに仕上がりました。

 

 その流れに乗って(?)、

 他ブランドの金具装飾を付けたスリッポンをいろいろと見てきました。

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AXES(アクセス)海外ブランドのファッション通販サイト

 

 次に、

 シューズデザイナーブランドの金具装飾が付いたスリッポンを取り上げています。

 基本的には服は作っていない、シューズデザインに拘ったブランドです。

 老舗靴ブランドとはまた違った、ファッション性の高いデザインに拘ったブランドです。

 

 という事で、

 まずは『MANOLO BLAHNIK』を見てきました。

maeego.hatenablog.com

 レディースシューズで非常に有名なブランドで、

 その影響も感じられるメンズシューズは魅力でしたね! 

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YOOX.COM(ユークス)

 

  次はこちらのブランドです。

JIMMY CHOO

 こちらもレディースシューズでは非常に有名なブランドですね!

 メンズシューズでは・・・正直まだそれほど!?!?

 

 僕もこれまで取り上げた事が無かったブランドですので、

 まずは歴史についてからです。

ジミーチュウの歴史

 こちらを読ませて頂きました。(感謝)

ジミーチュウの歴史 – ブラリズラボ【公式コラム】

JIMMY CHOO(ジミー チュウ)の歴史やデザイナーについて解説!

 

 創業者の一人ジミー・チュウ氏は、1954年11月15日、マレーシアのベナンに生まれました。

 客家と呼ばれる中国南部に住む漢民族の家系出身で、父は靴職人でした。

 

 ジミー氏は幼少期の頃から工房で靴の製作風景を間近に見て育ちました。

 父から靴作りに必要な知識や技術を直に教わり、11歳の頃には母のために初めてのパンプスを製作したそうです。

 

 靴職人になることを志したジミー氏はコードウェイナーズ・テクニカル・カレッジ(現 ロンドン芸術大学 カレッジ・オブ・ファッション)に入学しました。

 ファッションや靴作りについて基礎から学び、1983年に卒業しました。

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AIGLE

 

 大学を卒業したジミー氏は、ロンドン特別区のハックニーに念願の工房を構えました。

 

 この頃について、こちらの記事を読ませていただきました。(感謝)

【ジミーチュウ】 至高の靴職人 ジミー・チュウ | ハイブランド.com

 ジミー氏が卒業を迎える頃、コードウェイナーズに大変革の波が押し寄せました。

 パトリック・コックスジョン・ムーアといった後に有名になる生徒たちが創造の場としてハックニーを選んだのです。

 彼らの頭の中は伝統よりもヴィヴィアン・ウエストウッドに代表されるようなパンキッシュなスタイルでした。

 

 このハックニーは、お世辞にも綺麗な場所とは言えないそうで、ハイブランドの商品が売られる場所からはかけ離れた場所でした。

 ただメトロポリタン・ホスピタルと呼ばれる建物は低賃料だったため、さまざまなビジネスのスタートアップの場となりました。

 

 ジミー氏もハックニーに工房を構え、自身のブランドを『ラッキーシューズ』と名付け、露店で自ら売っていたそうです。

 

 一般的にハイエンドの靴を作るためには素材も最高級の素材を扱うイタリアから輸入する必要があります。

 しかし、ジミー氏のような少量しか生産できないデザイナーと取引してくれる業者はありません。

 

 ここで救いがありました。

 メトロポリタン・ホスピタルの近くに工房を持っていた『ジーナ シューズ』が小口での取引にも快く応じてくれ、必要な素材を仕入れることができました。

 

 そして、コードウェイナーズの新世代たちは『VOGUE』などファッション誌のアシスタントたちとも交流関係を持っていたため、メトロポリタン・ホスピタルに美しいカスタムメイドの靴を作る職人がいるという噂が知れ渡るようになりました。

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JIMMY CHOO

 

 ジミー氏のシューズも一部で評判を得たものの、経営についての知識がほとんど無かったため、なかなか軌道に乗せる事ができませんでした。

 

 そんなある日、「靴のロールスロイス」や「靴の王様」と呼ばれるラグジュアリーシューズブランドの『MANOLO BLAHNIK』が『VOGUE』に掲載するシューズを制作する職人を募集し、ジミー・チュウが抜擢されたのです。

 

 『VOGUE』にジミー氏が手がけたシューズが掲載されると、瞬く間に知名度が上昇し、工房にたくさんのお客が詰めかけるようになりました。

 ハックニーにベンツが止まっているという珍妙な光景が当たり前になっていったそうです。

 

 この頃に、妻レベッカの姪にあたるサンドラ・チョイがロンドンにやってきてジミーの仕事を手伝うようになります。

 

 ジミー・チュウのオーダーメイドは、3度のフィッティングを入念に行い、そこから2〜3週間で出来あるという感じでした。

 ジミー氏が制作するシューズは、デザインの美しさだけでなく、履き心地も非常に良く、機能性も兼ね備えていることから、次第に「魔法の靴」とよばれるようになります。

 

 ジミー氏のシューズの評判はついにイギリス王室にまで届きました。

 ダイアナ皇太子妃からカスタムメイドシューズのオーダーを依頼されたのです。

 その後もイギリス王室御用達の靴職人として度々オーダーを受けたそうです。

 

 今回はここまでです。

 ではでは。

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