こんにちは。
今日は曇り気味の晴れでした。
湿気がだんだん・・・来てますね。
東京はまだ梅雨に入っていない・・ですよね???
前回の続きです。
『JIMMY CHOO』のスリッポンを取り上げようとしています。
JIMMY CHOO
僕もこれまで取り上げた事がなかったブランドなので、
まずは歴史からチェックしています。
こちらの記事を読ませて頂きました。(感謝)
ジミーチュウの歴史 – ブラリズラボ【公式コラム】
JIMMY CHOO(ジミー チュウ)の歴史やデザイナーについて解説!
前回は、共同創業者のジミー・チュウとタマラ・イヤーダイに加え、もう一人の重要な人物、スタート時からクリエイティブ・ディレクターを務めるサンドラ・チョイ、について書きました。
サンドラ氏は現在もクリエイティブ・ディレクターを務めておられ、
まさに『ジミー チュウ』ブランドを作り続けておられます!
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『JIMMY CHOO』は1996年に創業しました。
初の店舗はロンドン・ベルグレイヴィア地区のモットクーム・ストリートにオープンしました。
2年後には、アメリカ、フランス、イタリアに進出し、
さらに東京・銀座にもオープンし、
世界のさまざまな主要都市に出展を続けていきます。
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さらに、1998年には社会現象となった米人気ドラマ『SEX AND THE CITY』で、主人公キャリーが発した「I lost my Choo」というセリフと共に、『ジミー チュウ』のシューズが世界中に知れ渡るようになりました。
さらに、セレブリティにブランドを認知してもらうために、アカデミー賞授賞式に真っ白なシューズを大量に持参し、女優が着用するドレスに合った色に染めるというサービスを行いました。
『ジミー チュウ』のシューズを履いてレッドカーペットを歩く多くの女優に注目が集まり、認知アップPRは大成功しました。
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この頃の事について、こちらの記事に詳しく書かれています。(感謝)
まずは、ドラマ『SEX AND THE CITY』について。
ニューヨークに住む4人の女性による生活を描いたドラマで、
数々のファッションが取り上げられ、
彼女たちが世界のファッションアイコンになったほど人気となりました。
『ジミーチュウ』の靴が初登場したのはファーストシーズンの第5話との事です。
更に登場人物がブランド名を靴にした初めての靴ブランドだったそう!
その後も事あるごとに『ジミー チュウ』の名前が登場し、
素晴らしいPR効果となったのですね。
ドラマで『マノロ ブラニク』、『グッチ』、『プラダ』といった世界最高峰の高級ブランドと並んで『ジミー チュウ』が取り扱われました。
これにより、それらと並ぶステータスを持つブランドとして世界中の女性に認知された事が大きかったのです!
他ブランドと違い、まだまだ駆け出し中だった『ジミー チュウ』にとってはこれ以上ない追い風となったのですね。
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続いて、「レッドカーペット大作戦」について。
これはタマラ・メロンと新興PR会社『GGI』のマリリン・へストによるものだったのですね。
まず最初に、オープニング・パーティーを開催して女優のロザンナ・アークエットなどを招待し、帰り際に一足づつ靴をプレゼントしたそうです。
さらに1999年のアカデミー賞授賞式で受賞女優のドレスの色に合わせて靴を染め上げて届けました。
レッドカーペットをブランドPRの場としたり、サンプルを送ったり、ということは既にさまざまなブランドも行っていましたが、
ドレスに合わせて靴を染めるところまでやったのは『ジミー チュウ』が初めてだったそうです!
「レッドカーペット大作戦」では他にも、ダイヤモンドのついた靴を用意したり、その場でサイズ直しをしたり、染め直しをしたり、24時間、出来る事ではなんでもやっていったそうです。
アカデミー賞の直前にはホテルのスイートにスワロフスキーのついたバッグ、ジュエリー、靴を並べて女優を待っていたそうです。
ここまでやると女優以上に『ジミー チュウ』の靴に注目が集まってしまい、スタイリストが怒って『ジミー チュウ』を履かせないという事態まで起こったそうです。
それでも『VOGUE』をはじめとする著名ファッション雑誌の表紙を飾る事によるPR効果は絶大なものでした!
『ジミー チュウ』は若いブランドですが、他ブランドの一手先を行く戦略でラグジュアリーブランドとしての地位を確立していったのですね。(凄)
今回はここまでです。
ではでは。
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