こんにちは。
今日は小雨と霧雨の1日でした。
梅雨???
前回はアディダスの貴重な初期のテニスシューズ、
それこそダスラー兄弟会社時代のテニスシューズから見てきました。
アディダスはテニスシューズの歴史の中でも、いち早くレザーを採用したメーカーとして記載されていましたね。
そして現在、アディダスのクラシカルなテニスシューズと言えば、
抜群の人気を誇る「スタンスミス」でしょう!!!
世界で、そして日本でも、東京でも、僕の目に入る範囲でも、男女問わず愛用されています!
早速スタ・・・
の前に、
こちらから取り上げたいと思います!!??
adidas HAILLET
ハイレット?
ええ、ハイレットです。
・・・、ハイレットって何??
僕も知りませんでした・・・(おいっ!)
どうやら「スタンスミス」の前身モデルらしいのですが、、、
こちらの記事に情報がありました。(感謝)
1965年、アディダスの創業者アドルフ・ダスラーの息子ホルスト・ダスラーがフランスのテニス選手ロバート・ハイレットと共にテニスシューズの開発を始めました。
そうして誕生したのが「HAILLET」です。
その後、アメリカの名テニス選手スタン・スミスがハイレットを愛用し、
1973年より正式に「STAN SMITH」の名で再リリースされました。
という事は、「ハイレット」と「スタンスミス」は繋がっているのかな??
記事によると、当時のテニスシューズはキャンバス素材が一般的で、ホルストが開発したレザー素材は画期的だった、とありますね。
うーん、、、1930年代からレザー製も同社で作っていたずなのに。(苦笑)
ロバート・ハイレット
ところで、、、
ロバート・ハイレットってどんな人?
ググるとこちらの記事を見つけました。(感謝)
1931年、フランス南西部のPau(ポー)に生まれました。
父親がポー市の市議会議委を務め、地元の「ローンテニスクラブ・デ・ポー」の経営者兼テニス教師だったそう。
ハイレットはアマチュアのテニス選手として1949年にモンテカルロ・カップに出場し、50年代まで活躍しました。
1960年代からプロへ転向。
因みに、当時は4大国際大会はアマチュア選手のための大会でしたので、ハイレットはプロ選手権に出場していたそうです。
その後、大会のオープン化がなされ、当時のプロ・テニスツアー唯一のフランス人選手として参加しました。
また、フランス代表のトレーナーやデビスカップチームのコーチも務めました。
そして、アディダスとの関係です。
1960年代の初頭にアディダスとスポンサー契約を結びました。
当時のアディダスですが、創始者アドルフ・ダスラーの息子ホルスト・ダスラーは新しいスポーツシューズの可能性を模索していました。
ホルストはフランス・アルザスの小さな靴メーカーを買収し、親の監督から離れて独立した事業をするための生産拠点をフランスに設けました。
(この辺りって、HESCHUNGの時に出てきた話と繋がりそうですね!?)
そして、ホルストは新しいアディダスのアイコンとして、1963年に全仏テニス選手権にてクォーターファイナリストとなったロバート・ハイレットに革製のテニスシューズの着用を提案します。
当時のフランスではキャンバス製のテニスシューズが主流で、ハイレットもスプリングコートを愛用していたようです。
ホルストのアイディアは、軽量皮革のアッパーをヘリンボーン柄のラバーソールに接着するというもの。
そうして1年がかりで誕生したのが「ロバート・ハイレット」で、アディダスシューズの新しい顔となりました。「ハイレット」は1965年の発売でしたよね。
なるほど、アマチュアとプロの違いも勉強になりました。
4大国際大会の、例えば全米オープンの「オープン」は、プロにもオープンとなったからオープンなのですね。(学)
TENNISとHAILLET
やはりレザー製のテニスシューズは「ハイレット」が最初期と記述されていましたね。
でも、1930年代からダスラーとアディダスで作っていませんでしたか??
個人的にどうにもモヤッとしてしまうので、もう少しググりました。
で、こちらの記事で少し「繋がり」が見えてきました。(感謝)
記事では1964年の「TENNIS」と「ハイレット」が比較されています。
「TENNIS」は西ドイツ製で、タンの素材がレザー、レースステイに別革が当てられています。
「ハイレット」はフランス製で、タンの素材はウレタンです。
その他は非常によく似ている事から、「ハイレット」は「TENNIS」の改良版であり廉価版なのではないか、との事です。
僕が見比べて気がついた事も書きます。
「TENNIS」は8ホールで、ラストが細め、特にウエストからヒールにかけてかなり絞られているように見えます。
サイドの三本線を描くスポットも大人しめで、全体的にドレッシーな雰囲気がありますね。
これに対して、
「ハイレット」は7ホールで、アウトソールのトゥスプリングが有りますね。ヒールカップが入っている辺りのステッチを見るとTENNISより前方まで伸びていますね。
サイドの三本線を描くスポットもしっかり目です。
全体的にボリューム感が増して、カジュアルな雰囲気が強くなったように思います。
意外なと言っては失礼かもしれませんが、
ドイツ製の「TENNIS」の方が細身でドレス感があり、フランス製の「ハイレット」の方が丸みがあってカジュアル感があるというのは正直驚きました。
ドレスシューズでは、ドイツや東欧の靴の方がボリューム感と重厚感がある印象、フランスはスマートな印象があるので、逆かなと。(笑)
さて、
大まかなデザインの類似性からは、「TENNIS」から「ハイレット」へ繋がりがあるようにも見えます。
でも、
ラストの雰囲気やレースホールの数などの細かな違いを総合すると、別モデルにも見えます。
う〜〜〜ん、、、
ホルスト・ダスラーがドイツを離れてフランスで独自開発をしていた時期ですよね・・・
とはいえ、アディダスの影響からは離れようにも離れられない人物とも思えますし。(DNA)
そもそもフランスで作ってもアディダスに変わりは無いです訳で。(繋)
どうなんだろう???
ちょっと休憩。
さて、
ここまでに分かった情報から妄想してみます!
ロバート・ハイレットはアディダスと契約する直前の1963年の全仏テニス選手権までスプリングコートを愛用していたのですよね。
そしてアディダスの「ハイレット」が誕生したのが1965年とされています。
じゃぁ、1964年には何を履いていたのだろうか??
ここで考えうるのは、
ホルスト・ダスラーが既にレザー製のテニスシューズを用意していて、それをハイレットに履いてもらったパターン。
それは「TENNIS」では無く、「プロトタイプ(?)のハイレット」になるでしょうか。
別の考えとしては、
「ハイレット」の開発は契約をしてから開始したとすれば、完成までの1年間は別のアディダス を履いていたはず。
だとすれば、「TENNIS」の可能性がありそうかな!!?
ただし前回の資料では、「1962年のTENNIS」はまだダービー(外羽根)では無いんですよね。
でも、「1963年のスーパーグリップ初代モデル」はダービーなので、「同年のTENNIS」もダービーに変更されたとすれば、「1964年のTENNIS」もダービーでしょう。
その「TENNIS」をベースにして「ハイレット」が誕生したという話も通りますね。
まだまだ疑問が次々と浮かんできてしまいますが、
今回はここまでです。
ではでは。