こんにちは。
今日も小雨混じりの曇り空でした。
湿気もじわじわ増してきているような・・・。
前回の続きです。
アディダスのクラシックなテニスシューズ「ハイレット」を見てきました。
「ハイレット」は現在の定番「スタンスミス」の前身モデルと言われていますが、
確かに繋がりがありました!(認)
1つのスニーカーにも歴史あり、ですね。(楽)
「ハイレット」の話をしていたつもりが、
いつの間にか(?)「スタンスミス」に入ってしまいましたね。(苦笑)
ここらでそろそろ、
ちゃんと「スタンスミス」に入りましょう!
先にことわっておかなければならないでしょうね、、、。(重)
今大事な問題意識として環境問題がありますよね。
adidasも取り組みをしている事、
そして「スタンスミス」はその代表モデルである事、
は多くのメディアで伝えられています。
僕もかかる問題意識は重要であると思います。
なので、本来ならPRIME GREEN製のスタンスミスをお勧めすべきなのかもしれません、、、。
でも、まだまだ認識が甘いのかもしれませんが、レザー製の良さもあるのではないかという思いが消えません。
この点、原則として革製品の為だけに動物を利用する事は無いと言われています。
であるならば、あくまで副産物という限りにおいて、許容されないものでしょうか。
それを口実に無闇に副産物を増やす行動は非難されるべきですし、今すべきは副産物をできるだけ減らす行動です。
一消費者としても、無用に革製品を増やすような行動には気をつけたいと思います。
それでもそれが0になるまでは副産物も有効利用できれば、
メンテナンスをして長く使える素材でもあるので、吟味した革製品を大事に使う世の中になれば、
というのでは甘いでしょうか・・・。
これから先の未来において、革製品に対する認識がどう変わっていくのか、僕にはまだ分かりません。
今回の「スタンスミス」に関しては、レザー製の在庫がある限りにおいては、レザー製をお勧めしたいです。
是非メンテナンスをしながら大事に履いて頂けると嬉しいので。
とはいえ、もう殆ど在庫が無いのかもしれませんが、、、。
adidas STAN SMITH
スタンレー・ロジャー・スミス
まずは、スタン・スミス氏についてウィキりました。(感謝)
1946年12月14日生まれ、アメリカ・カリフォルニア州パサデナ出身のテニス選手。
フルネームはStanley Roger Smith(スタンレー・ロジャー・スミス)。
学生時代は南カリフォルニア大学のエースとして活躍し、1968年に「全米学生テニス選手権」の男子シングルスで優勝。
この大会では1967年と1968年にダブルスで2連覇もしている。
その頃から組んでいたダブルスのパートナーであるボブ・ルッツとは、後の4大大会で5勝を挙げる名コンビとなった。
1968年からデビスカップのアメリカ代表選手に選ばれ、同年から1972年までアメリカ・チームの5連覇に貢献した。
1978年と1979年のデビスカップではボブ・ルッツとのダブルスで2度の優勝に貢献した。
スミスはデビスカップで史上最多の7勝を上げた選手となり、アメリカ・チームに7勝をもたらした選手として、当時のアメリカの国民的英雄となった。
プロテニス選手として1985年まで活躍し、シングルス39勝、ダブルス61勝を挙げ、「通算100勝」を記録。
優れたテニスコーチとしても有名である。
1987年に国際テニス殿堂入りを果たした。
アメリカの国民的英雄ですか!!(凄)
本当に凄い選手だったのですね。(敬)
そして、アディダスの登場です。
アディダスとの関係
こちらの記事を読ませて頂きました。(感謝)
1972年、スミス氏はウィンブルドンで念願の初優勝を飾り、デビスカップではアメリカ・チームとともに5連覇を記録しました。
1973年、アディダスの創業者アドルフ・ダスラーの息子ホルスト・ダスラーは、スミス氏とアディダスのスポンサー契約を結びます。
スミス氏は当時の定番モデル「ハイレット」を着用します・・・
というか、既に1972年には「ハイレット」を履いていました。(笑)
掲載されたカタログから、「ハイレット」は当時のトップモデルだったのですね。
そして、アディダス社は「ハイレット」の新しい顔として、スミス氏とシグネチャー契約を結びます。
スタン・スミスが語る「スタンスミス」!
「ハイレット」から「スタンスミス」へと変わっていった当時の話を、スタン・スミスご本人が話されている記事を見つけました!!(感謝)
アディダスがアメリカ進出を狙った時にアメリカの有名人をプロモーションとして起用する必要があったのですね。
そこで選ばれたのが、当時アメリカでナンバーワンだったスタン・スミスだったのだと。
確かに彼の実績を見れば申し分無いですよね!
そういう意味では、アディダスがフランスに工場を作ったタイミングから考えると、「ハイレット」もフランスのマーケットを狙ってフランスで人気の高かったロバート・ハイレットを起用したのかもしれませんね。
また、「ハイレット」からの変更点についても話されています。
アキレス腱周辺を保護するためにヒール部分(ヒールパッチでしょうね)を高くした事と、
タンのズレを防ぐためにタンを大きくした事、
との事です。
こういう話を聞くと、「ハイレット」から「スタンスミス」になったんだなぁと思いますね。(笑)
ここからのハイレット-スタンスミスの変遷は、以前取り上げた通りです。
カタログ上は1973年(スポンサー契約の年)に「STANSMITH-HAILLET」となり、
1974年にはタンにスミス氏の顔が入りました。
以降の「スタンスミス」の変遷についても以前取り上げた通りです。
今回はここまでです。
ではでは。