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真っ白なテニスシューズを履きたい気分(8)歴史⑥ 前回の補足と60年代からの進化

 こんにちは。

 今日は曇りと少しの雨。

 大して荒れる事も無かったのは幸いですね。

 

 テニスシューズの歴史をチェックしています。

 前回は20世紀初頭のイギリスまで来て、

 ダンロップグリーンフラッシュが登場しましたね。

 ところで、

 それ以前のプリムソールの時代、もう1つ前のサンド・シューズの時代では、「リバプールラバーカンパニー」という名前がよく出てきました。

 そして、ダンロップの靴工場もリバプールにあったようですね。

 両者に何か繋がりがあるのかな??

 あらためてググっていると、

 以前wikiったあの記事にヒントがありました!(!)

Plimsoll shoe - Wikipedia 

 どうやら1925年にダンロップリバプールラバーカンパニーを買収したようで・・・

 それもマッキントッシュグループとの合併の一環として・・!??

 といった記載がありますね。

 

 もう少し調べました。

Dunlop Rubber - Wikipedia

 1924年からビジネスの多様化を始め、テニスボールの製造を開始しました。

 1925年には、テニスラケット製造の専門性を持つF A Davisを買収しました。

 1926年、マンチェスターチャールズ・マッキントッシュを250万ポンドで買収し、靴や衣服にダンロップの名前がつけられるようになりました。

 とあります。

 レインコートのあのマッキントッシュが出てきましたね!!?? 

 で、リバプールラバーカンパニーは先にマッキントッシュに買収されていたのではないか、を調べているのですが、なかなか情報が見つからないくて・・・不明です。(沈)

 

 

 では、先へ進みましょう!

 19世紀半ばに加硫ゴムが発明され、

 20世紀初頭にはテニスシューズも発展し普及していきました。

 また、それまではテニスシューズがスポーツ全般で履かれていましたが、種目毎に適したスポーツシューズの開発をするようになっていきました。

 その進化が急速に加速し始めたのが1960年代からのようです。

 今回も参考にさせて頂いた記事はこちらです。(感謝)

 tennisconnected.com

進化

 1960年代に入ると、多くのデザイナーが研究を重ねて機能性の向上をし始めたのそうです。

 この時期の主要なデザイナーがビル・バウアーマンでした。

 ビルはオレゴン大学のコーチでした。彼は選手の能力を引き出す為にキャンバスの代わりにより軽量なナイロンを使用したテニスシューズを設計し、ランナーがより快適に履ける為の柔らかいインナーソールを備えた靴を設計しました。

 これらを実現する為に設立されたのがナイキです。

 

 以降、プーマやアディダスなどの企業も選手のニーズに応える改良版のテニスシューズを作るようになっていきました。

 

 ここまでが、「The History of Tennis Shoes」にあった内容です。

 ここから先、つまり現在に至るシューズのハイテク化、についても気になるところではあります。(興)

 が、

 今季僕が気になっているのはあくまでクラシカルなテニスシューズです。

 なので、ハイテクスニーカーについてはまたいつか。

 

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 とはいえ、

 僕も大好きなナイキが登場しましたので、

 ナイキについては触れておきましょう!(笑)

 

 wikiりました。(感謝)

ナイキ - Wikipedia

 ナイキの歴史を調べると、いろいろな意味で日本と縁があったようで・・・

 詳しい事はこちらの記事(↓)で書かれています。(感謝)

ナイキとオニツカタイガー(アシックス)の因縁関係「2つのコルテッツ」を詳しく解説 | スニーカーナビ!

  創業者のフィル・ナイトは、オレゴン大学の陸上部で活躍し、スタンフォード大学経営大学院在学中にビジネスプランの論文「日本の運動靴は、日本のカメラがドイツのカメラにしたことをドイツの運動靴に対しても成し遂げ得るのか」を書いたそうです。

 論文のタイトルから想像するに、当時のスポーツシューズはドイツが世界的にリードしていたという事ですよね!?? アディダスやプーマでしょうね。

 

 1962年、卒業旅行で京都を訪れたフィル・ナイトは商店で手に取ったオニツカタイガー(現アシックス)の品質と低価格を気に入りました。

 帰国してすぐに起業準備に取り掛かり、京都の鬼塚商会を訪ね、オニツカのアメリカ販売権を取得しました。これがナイキの初まりとされています。

 1964年、オレゴン大学の陸上コーチであった恩師のビル・バウアーマンと共同でブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立し、日本からオニツカタイガーのランニングシューズを輸入しアメリカ国内で販売し始めました。

 

 BRS社は次第にオニツカの製品開発にも関与するようになります。

 ボワーマンのアイデアによってオニツカは1968年に「タイガー コルテッツ」をデザインしました。これは「タイガー マラソン」と並ぶBRS社の看板となりました。

 その後、オニツカとのトラブルがあったそうで・・・1971年にオニツカとの提携が終了します。。(悲)

 この時期にBRS社に融資をしたのが日商岩井(↓)です。

https://www.sojitz.com/history/jp/company/post-69.php

  資金を得たBRS社は自社でシューズを生産するようになります。

 1971年6月18日、ナイキの象徴である「スウォッシュ」がデザインされた最初のシューズが発売されました。この「スウォッシュ」がギリシャ神話の勝利の女神Nikeが翼を広げた姿と重なり、社員の助言を受けてブランド名を『Nike』とし、社名も同名に変更されました。

 創業当初はメキシコの工場で生産していましたが、高品質なシューズを生産するために日商岩井の仲介で1972年から福岡県の日本ゴム(現アサヒシューズ)の工場でトレーニングシューズを生産しました。

 

 オニツカとの提携終了後もボワーマンの名付けた「コルテッツ」の名称をオニツカが使用していた事で裁判となりました。

 裁判は1974年に決着し、ナイキはオニツカから「コルテッツ」の使用権を獲得しました。これが今でもナイキの定番スニーカーとして作り続けられているあのコルテッツです。

 「タイガー コルテッツ」は「タイガー コルセア」に名称変更され、それが現在の「アシックス コルセア」です。

 またオニツカはナイキに1億数千万円の和解金を支払ったそうです。

 

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 テニスシューズからどんどん離れていってしまいましたが(苦笑)、

 ナイキの原点っぽいので「コルテッツ」について僕が気になった事を1つ。

 それは、ソールです!

 2枚の柔らかいスポンジラバーソールの間に固めのスポンジラバーソールを挟んだ構造だそうです。

 って事は、ラバーが進化してんじゃん!!!

 ハイテク化が来ましたね!(ニヤリ)

 そして、その構造を強調するためにあの色使い(白・青・白)だったのですね。(へー)

 それがファッション的な魅力にもなったのですから、今のスニーカー人気の初まりとも言えそうですね。(偉)

 

 

 その後は、エアソールを始め、新しい高性能スニーカーが今も誕生しています。

 エアフォース1やエアジョーダン、エアマックスなどなど名作も多数ありますね。

 

  ではでは。


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