こんにちは。
今日も晴れました。
昨日よりは穏やかな天候でした。
前回の続きです。
今季はブラックスエードのカジュアルブーツが気になっています!
ここまで『SANDERS』のマッドガードを取り上げてきました。
クレープソールの側面をぐるりと囲むラバーが特徴的でしたね!!
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クレープソールと言えば、
こちらのブランドを外すわけにはいきませんっ!
Clarks Deseert Boot
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クレープソールといえば、
真っ先に名前のあがるブランドと言っても過言ではないのではないでしょうか。
そして、やはりファッション的にも特別なポジションを確保しているブーツです!
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靴をチェックする前に、
まずは『クラークス』の歴史からです。
こちらの記事を読ませて頂きました。
1825年、日本では江戸時代の頃、
イングランドの南西部、豊かな田園風景の中にある町ストリートに住んでいたサイラスとジェームスのクラーク兄弟は、小さなスリッパの製造会社を作りました。
弟ジェームスは、兄サイラスのシープスキンのラグ作りを手伝っていましたが、ある日「このシープスキンを使って毛がついたままのスリッパを作ったらどんなに気持ち良い事だろう」と考えたました。
それを何とか形にするために自分で革をカッティングして、町の靴職人に縫い合わせをしてもらいました。
こうして出来上がった稀なるスリッパは、あまりにも履き心地が良く、アッという間に大評判になりました。
これが『クラークス』の第一号です。
兄弟はこのスリッパの本格的な製造のためにお互いの頭文字をとった『C&Jクラーク』を創立しました。
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設立当初はスリッパを作っていましたが、その後靴メーカーとして成長します。
1856年、世界に先駆けてアッパーとソールを縫い合わせるミシンを開発しました。
1862年、ソールカットマシンを開発しました。
1883年のポスターには、靴による足の変形図と、クラークス社開発の木型とを並べて掲載し、「足の健康」を優先させる靴づくりをアピールしていました。
1913年、防水加工の革靴を商品化しました。
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1950年、「デザートブーツ」が発売されました。
この靴の生みの親は、クラーク家の4代目ネーサン・クラークです。
第二次世界大戦中、ネーサン・クラークがビルマ駐屯の陸軍兵士をしていたある日、友人からカイロのバザールで作らせたという靴を見せてもらいました。
それは実に柔らかい靴で、なんとも履きやすい靴でした。
終戦後イギリスに戻ったネーサン・クラークは、その時に覚えていた事を形にして靴を作りました。
当時の靴といえば、
兵士は軍から支給されるアーミーシューズか、革でできたインド風のプシタールサンダルが主流でした。
街の人々もドレスシューズか作業靴しか持っておらず、
中間のカジュアルシューズという概念は全くありませんでした。
そのため、デザートブーツは当初「こんな風変わりなものが売れるはずがない」と周囲から一笑に付されました。
ネーサン・クラークはオーストラリアでのライセンス生産からスタートし、
それがアメリカでヒットしました。
それがイギリスに逆輸入されるというかたちで受け入れられ、世界中の人々に広がって行きました。
ネーサン・クラークは「結果的にデザートブーツの登場は、これまでになかったカジュアルシューズというカテゴリーを確立させた世界のシューズ界にとって画期的なものとなった」と語っておられます。
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更に、こちらの記事を読ませて頂きました。
最初に火がついたは北米でした。
雑誌『Esquire』の編集者の目に止まったのがきっかけでした。
その後、フランスでの成功や、1960年代の英国モッズムーブメントにおける流行など、世界各国で定着して行きました。
近年ではジャマイカのレゲエシーンでの盛り上がりもあったのですね。
現在では、販売実績が1500万足を超えたそうです!(凄)
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現在、「デザートブーツ」には3つのタイプがあります。
「The original」は、1950年の誕生から続く木型220が使われています。
「The 221」は、2020年に登場し、正当な進化を遂げた木型221が使われています。
「The new Desert Boot 2」は、ラバーアウトソールやパッド、高機能カップインソールなど、様々な独自技術を採用してアップデートされています。
今回はここまでです。
ではでは。
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