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僕の最近のデニム熱。(玖)

 こんにちは。

 今日も晴れました。

 30℃超えてるのですね、、、。

 梅雨はどうなったの???

 

 スニーカーの話を一休みして、

 僕の最近のデニム熱について脱線話をしています。

 前回は僕の好きなデニムブランド『リーバイス』のアメリカ本土の自社工場について書きました。

 残念ながら、2003年で本土の自社工場は全て閉鎖されてしまいましたね。(悲)

 

 ここまではデニムを使って製品を作る工場の話でした。

 次は、「デニム」の話です。

 ドレスシューズにおいてレザーが大事である様に、

 デニムにおいてデニムは大事なのです!(?)

 

 まずは公式サイトで『リーバイス』の歴史をチェックしましょう。

www.levi.jp

 「1915年」に注目すると、

 アモスケイグ社に代わりコーンミルズ社の生地が使われるようになった1915年。

 とあります。

 

BEAMS Online Shop

 

 という事で、

 まずは『アモスケイグ社』について調べました。

 こちらの記事を読ませて頂きました。(感謝)

www.mylevis501.com

 記事から以下の事が分かりました。

 

 最初のウエストオーバーオールで使用したデニムは、アメリ東海岸ニューハンプシャー州マンチェスターにある『アモスケイグ(Aamoskeag Manufacturing Conmany)』社製でした。

 『アモスケイグ』のある地域はNew Englandとして知られ、アメリカの最初の製織所が建てられたところで、1873年には彼らの生地は高品質で知られていました。

 『アモスケイグ』は1831年に会社組織となり、1860年代中頃にはデニムの生産を行っていました。

 

 『Levi Strauss & Co.』社はダックとデニムのウエストオーバーオールで成功し、ドライグッズの卸業と衣料の製造業の両方のトップとなりました。

 ウエストオーバーオールに加えて、ジャケットやその他の外出着をデニムとダックを使用して製造しました。

 無地やプリントしたコットンモスリンのシャツ等も出しました。 

 

 リーバイストラウスは1902年に73歳で亡くなりました。

 事業は4人の甥達(Stem兄弟)に引き継がれました。

 

三越伊勢丹オンラインストア

 

 という事で、

 リーバイ・ストラウスとヤコブ・デイヴィスが最初に作ったウエストオーバーオールに使われていたデニムは『アモスケイグ』社のものでした。

 それにより『リーバイス』も『アモスケイグ』も成功を手にしたのですね!

 更に、デニムジャケットやその他の外出着も作られたとの事です。

 

 その当時のデニムはどのようなデザインだったのか?

 『LEVI'S VINTAGE CLOTHING』では1915年以前の復刻品がありますよね!

 

 例えば、1890年モデルです。

 

 1890年は、品番統制により、ロットナンバーとして「501」が初めて商品に付けられた年でしたね。

 ベルトループは無く、シンチバックとサスペンダーボタンがありますね。

 ヒップポケットは1つです。

 

 ジャケットは1879年モデルです。

 

 「ファースト」より更に古いモデルで、「プリーツブラウス」と呼ばれていたようです。

 クラフト感のあるデザインですね!

 

 この当時使われていた生地は『アモスケイグ』社だったのですね。

 

 今回はここまでです。

 ではでは。 

CASETiFY


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