こんにちは。
今朝は曇りから始まりましたが、
午後から雨がパラパラと降り続いているようで、
ちょっと梅雨らしい感じでしょうか。
何故かちょっとほっとしています。
白いテニスシューズが気になった事から始まり、
途中からヒップホップにも耳が馴染んでくるようになり、
スニーカーへの興味がじわじわと強くなってきてしまいました。
そんな僕が出会ったのがこちらの本です。
スニーカーの文化史
いかにスニーカーはポップカルチャーのアイコンとなったか
スニーカーが誕生する前提としての需要について説明がなされています。
そのきっかけがイギリスの産業革命によってもたらされた労働者の時間と可処分所得。
そして鉄道、海辺のリゾート、サンドシューズの話です。
スニーカーの需要が生まれてきた中で課題だったのがゴムの品質でした。
そこで、チャールズ・グッドイヤーの加硫ゴム発明があり、スニーカーの進歩が始まりました。
スニーカーが誕生していく当時の社会の様子が書かれています。
フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵によるオリンピック復活の話、
学生スポーツや体育、サッカーとフットボールの関係、テニスの広がり、バスケットボールの誕生、など、スポーツの話も興味深いです。
スポーツの普及発展によりスニーカーも更に進化していきました。
コンバースとチャック・テイラーについての話も丁寧に書かれています。
今のようにスニーカーが身近に手に取れるような世の中では無かった時代、
こうやってスニーカーを普及させていたのですね。(驚)
アディダスとプーマの話もしっかり書かれていました。
オリンピックやワールドカップなどの裏舞台で、そういう事もあったのかぁ・・・。
「ペレ協定」なるものがあったのですね。
ナイキの話はボリュームも多く書かれています。
マイケル・ジョーダンが乗り気で無かった!??(驚)
ライバイルメーカーとの熾烈な競争、
社会問題との関わり、
世界一のスポーツブランドも決して順風万歩では無かったのですね。
他にも、
スケートボードで有名になったVANS、
ジョギングで有名になったNEW BALANCE、
エアロビクスで成功しバスケットボールに進出したReebok、
など、興味深い話が書かれています。
そして、スポーツの世界を飛び出し、映画スターやヒップホップからの影響力は今も変わらず、というか、ますます大きくなっているように思いますね。
特にヒップホップやストリートの話からはアメリカ社会の生々しさが伝わってきて
でも、スニーカー文化に大きく影響しているのも確かで、
個人的には複雑な心境ですね・・・。
ファッションとして上澄をすくうのと紙一重なところで、様々な思惑によってエスカレートしていく一部のスニーカー熱の危険な面も書かれています。
さて、
僕の関心の高いテニスシューズについては「スタンスミス」の話が丁寧に書かれていました。
概ねググって調べた内容も合っているように思います。
ただ、本書で知った情報もあるので、書き足させて下さい。
追加情報
「ハイレット」誕生の経緯について。
アディダスの創始者アドルフ・ダスラーと妻のケーテは、会社の全権をひとり息子のホルスト(当時23歳)に託すのは時期尚早とみて、1959年にフランスの靴工場を再建するチャンスを与えたそうです。
アディダス・フランスはドイツ本社を親会社では無く競争相手とみなし、独自の製品ラインアップを出していきました。
そして、本社がまだ重視していなかったアメリカ市場に目を向け、当時まだ文化的地位が確立されていなかったプロバスケットボールを標的にしたそうです。
1964年、「スーパーグリップ」と「プロモデル」を発売し、最初の成功を収めます。
そして「オールスター」(コンバース)に対抗するべく「スーパースター」という名前に変わり、1973年にはプロ選手の85%がアディダスを着用するまでになりました。
もう1つの分野が僕が関心をもっているテニスです!
そこで白羽の矢が立ったのがフランスのプロテニスの第一人者ロベール・ハイレでした。そして誕生したのがハイレの英語読み「ハイレット」です。
しかしハイレの引退があり、70年代から新たな戦略が必要となりました。
アメリカ市場への進出もあり、1971年、その年に全米オープンで優勝したアメリカ人選手の新星スタン・スミスと接触を試みます。ホルストとスミスはパリのナイトクラブで顔を合わせ、話がまとまりました。
だから1972年には既に「ハイレット」を履いていたのですね!!(納得)
そして、アディダスと正式にスポンサー契約を結んだのが1973年で、同年にモデル名も「STAN SMITH - HAILLET」に変更されました。
ではでは。