こんにちは。
今日は・・雨上がりからの晴れでした。
予報では気温が下がって寒くなると言われていたように記憶していましたが、
それほどでは無かったかなと。
前回の続きです。
『FERRAGAMO』のスリッポンを取り上げようとしています。
FERRAGAMO メタルキャップトゥ スリッポン
まずはブランドについて知りたいので、歴史をチェックしています。
こちらの記事を読ませて頂いています。(感謝)
前回は、イタリアへ戻って自分のブランドを創業し、破産し、再出発し、第二次世界大戦下という逆境をチャンスに、というところまで書きました。
イタリアへ戻ってからは良い事も悪い事もあり、それを乗り越えて成功に向かっておられましたね。
流石に物凄い!(尊)
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1950年には従業員700人、一日に50足の靴を手作りできるようになっていました。
しかし時代の流れは早く、サルヴァトーレは危機感を覚えていました。
そこで遂に、靴の機械生産を決意しました。
その理由は、
高価な手作りの靴は金持ちが減っている時代に合わない事。
そして、昔は満足のいく結果が得られなかった機械生産も、1950年となった現在では受け入れられるかもしれないという事。
こうした時代背景により、
60%の作業は手作業、40%の簡単な作業を機械、
という分業をスタートさせました。
1951年、取り外し可能なソックスが一体となったサンダル「キモ」が登場しました。
1954年、オードリー・ヘプバーンの為に制作したストラップ付きスエード素材のストラップ付きバレリーナシューズが登場しました。
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サルヴァトーレは1960年に死去しました。
生前に将来の『フェラガモ』社の構想を練っており、あらゆる布石を打っていました。
長女のフィアンマは、15歳の時に自身のアトリエで修行をさせ、直接指導をした事で、サルヴァトーレの感性を引き継ぎ、靴及び革製品のデザイン責任者となりました。
次女のジョヴァンナは、16歳でファッション専門学校へ行き、1958年には最初のレディースコレクションを発表し、『フェラガモ』を総合ファッションブランドへ転身させていきました。
妻のワンダには、サルヴァトーレに万が一のことがあった場合に会社を引き継がせる準備をしていました。
1965年には、長女フィアンマによる初のハンドバッグコレクションが開始され、
1967年には、父に次いでフィアンマも「ニーマン・マーカス賞」を受賞しました。
1969年には、ハンドバッグの「ガンチーニ」が登場しました。
1970年には、次男レオナルドによるメンズシューズとウェアの展開が開始しました。
1971年には、三女フルヴィアによるシルクスカーフとタイの製作が始まり、ブランドを代表する製品として成長しました。
1978年、フィアンマのデザインによるパンプス「ヴァラ」が誕生しました。
1998年、アイウェアのラインセンス契約を『ルックス・オルテカ』と結びます。
2001年、『フェラガモ・パルファム』を設立。
2002年、初のスニーカーライン『Freedom』を発表。
2000年秋冬からデザイナーが就任し、交代を経て現在に至ります。
2011年、イタリア証券取引所に株式上場しました。
現在は、同族経営の会社として長男フェルッチオが社長を務め、三代目候補として一族の子供達23人中3人だけが『フェラガモ』で働く事を許されているそうです。
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続いて、
フェラガモが生み出した数々の名作靴について、
こちらの記事を読ませて頂きました。(感謝)
「11歳にして地元で靴屋を開業し、自分より年上の助手を6人も抱えるほどの職人に成長しました。」
・・・あらためてもの凄い少年だったのですね。(才)
アメリカへ渡ってから
16歳で渡米し、兄の一人が映画会社に勤務されていた縁から『幌馬車』(1923)でカウボーイ・ブーツを製作しました。
そこで認められ、1923年にハリウッドへ店を移転させて『ハリウッド・ブーツ・ショップ』としてリニューアルオープンしました。
そうして撮影所から大量の仕事が発注されるようになりました。
撮影所から要求される多様な靴のデザインはフェラガモの創造性を刺激しました。
さらに大学で人体構造学を学び、アーチを支える画期的な靴型を開発しました。
そして、尖った靴先のシューズしかなかった当時、靴先の丸いフレンチ・トゥを発表してハリウッドスターたちを虜にしました。
また、踵から爪先まで一枚の板で作られたステージ・トゥも開発して人気となりました。
無声映画のヒロインとして地位を築いたリリアン・キッシュのために、サテンやシルクに刺繍とビジューがヒールにまで縫い付けられた靴を製作し、1920年代に流行し、1950年代に最人気となり、靴の歴史に定着したスタイルになりました。
1923年、『十戒』(1956)で初めてサンダルを制作しました。
サンダルという言葉さえ使われておらず、足を隠すのが常識だと考えられていた時代に登場したサルヴァトーレのサンダルは大流行し、世界中に普及しました。
イタリアへ戻ってから
1930年代から40年代のイタリアは独裁政権下やエチオピア戦争、第二次世界大戦前の大不況下にあり、原料が不足していました。
しかし、サルヴァトーレの想像力は刺激され、ガラス、鏡、木、セロファンなど、あらゆるマテリアルを使った先進的な靴を次々と考案しました。
なかでも、1942年に発明したコルクを使ったウェッジ・ヒールは、第二次世界大戦中にファッションの最先端となり、世界中でコピー製品が作られるほどでした。
そういえば、『GUCCI』もバンブーや〜を生み出しましたよね。
また、『LEVI'S』では後世一際人気の高い大戦モデルが登場しています。
材料が無い事に項垂れるだけでは無く、新たなモノを生み出す想像力が未来を切り拓いたのですね。
1950年代、20年代から30年代に大流行していた毛皮やベルベットの襟が再びブームとなっており、サルヴァトーレは履き口に折り返しがついたスウェードのアンクル・ブーツを発表して一世を風靡しました。
また、ヒールのトレンドが太いものから細いものへと移行していきましたが、
1954年、極端に細く先が尖ったメタル製のスティレット・ヒールを発表して牽引しました。
1960年、サルヴァトーレは死を迎えましたが、
生前彼が思い描いていた「頭のてっぺんからつま先までフェラガモで装う」という夢は子供達に引き継がれました。
1969年、アイコンとなったバッグの留め金具ガンチーニが誕生しました。
『007/黄金銃を持つ男』(1974)では、ガンチーニのローファーを履いたジェームズ・ボンドが登場しました。
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サルヴァトーレ・フェラガモは、
「美しさに限界はない、デザインに飽和点はない、そして靴屋が製品を飾るために使う素材には終わりはない」
と語ったそうです。
奇しくも今季の僕は王道の方では無い、王道の次を感じられるようなスリッポンをチェックしているのですが、偉大なサルヴァトーレ・フェラガモの言葉に背中を押して頂けたような気がしています。
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最後に、
フェラガモの靴が作られる工房について、
こちらの記事を読ませて頂きました。
「「フェラガモ」の工房はトスカーナ地方にいくつも点在しており、その中核を担うのがフィレンツェ郊外に位置する今回訪れた工房である。」
との事です。
おそらくメンズシューズはまた別の工房なのかもしれませんね。
「南カリフォルニア大学の夜間コースで人体解剖学を学び、修士課程を修め」、
「足の構造を研究したからこそ生まれた、土踏まずを支えて体のバランスを安定させたシューズはたちまち人気を博し、368にも及ぶ特許取得という素晴らしい功績にも繋がった」との事です。
デザイン性だけでは無く、履き心地の良さも兼ね備えた靴を作っておられるのが凄い!
機械で大まかにカットされた原型を職人の手によって研磨して作られるラスト(木型)は、創業当時から変わらず木製を採用しているのですね。
他の工程においても、テクノロジーを利用して生産性を高めつつ、職人の精妙な手仕事によって作られているとの事です。
それでは靴を見ていきます!
でも、
今回はここまでです。
ではでは。
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