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今季はブラックスエードな気分です! (脱線) Charles.F.Stead

 こんにちは。

 今日は冷たい小雨でした。

 幸い雪にはならなかったです。 

 

 前回の続き・・・・

 というよりも、

 脱線話??

 の回です。

 

 前回「SUPER BUCK」について書いている中で、

maeego.hatenablog.com

 「ちなみに、『Charles.F.Stead』の創業は1904年ですが、

 その前身『ウィルソン アンド ウォーカー』となると1823年にまで遡るのですね。」

 という情報を知りました。(学)

 

 ここがどうしても気になってしまったので・・、(病?)

 『Charles.F.Stead』の歴史について書かせて下さい。

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Clarles.F.Stead の歴史

 という事で、

 本国HPを拝見しました。

www.cfstead.com

1890年から1900年

 創業者のCharles.F.Steadは『Thomas Wright &Co』の見習いとして仕事を学び、セールスマンとして成功しました。

 業界で多くの経験を積んだ後、リーズ市内中心部近くのSt. Anne's Streatにある小さな敷地内に自分のビジネスを立ち上げました。

 

1900年から1910年

 ビジネスが好調に推移した事から、『Wilson & Walker Ltd.』によって皮なめし工場と接着剤工場として運営されていたタナリー『Sheepscar』を引き継ぎました。

 現在の建物の一部は『ウィルソン&ウォーカー』が設立された1823年に遡ります。

 Meanwood渓谷には多くの皮なめし工場があり、小川の軟水が支えていました。

 

 1904年から『C.F.Stead』によって製造されたオリジナルの革は、製本のための国産の羊皮、セーム皮、ファンシーレザー、を元にしていました。

 また、東インドから輸入された粗い植物なめしの革もさらに加工され、染色されました。

 

 ここで前回学んだ

 「その前身『ウィルソン アンド ウォーカー』〜」

 が登場しましたね!

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1910年から1920年

 需要の増加に伴って、クロムなめしで使われる大型木製ドラムを回転させるための新たな蒸気エンジンが必要となりました。

 発電機は革命的で、機械や照明に十分な電力を生み出しました。

 

 1920年代には英国人のスエード靴への愛情が生まれました。

 それは王室の一人から始まりました。ウィンザー公であり20年代ベストドレッサーであったエドワードが、ダークブルーのスーツに茶色のスエード靴を合わせてセンセーションを巻き起こしたのです。

 

 皮革産業がペースアップしたにもかかわらず、20年代にチャールズ・F・ステッドは自動車事故に巻き込まれてこの世を去ったという悲劇も起こりました。

 このため、次男フィリップ・K・ステッドが僅か22歳で事業を引き継ぐこととなりました。

 彼はディアスキンとバックスキンのキュアリングとタンニングに向けて、徐々にではありますが重要な変更を開始しました。

 

1920年から1930年

 1930年代には「Perfect レザージャケット」ルックが見られ、悪名高い「Biker Bad - Boy」のイメージがファッションシーンに一気に浸透しました。

 『ハーレーダビッドソン』等のブランドを通じて名声を獲得し、その後ハリウッドの若者達の魅力によって不滅の地位を築きました。

 これによりレザーは、耐久性のある素材というだけで無く、ファッションステートメントにもなったのです。

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1930年から1940年

 1940年代は第二次世界大戦が勃発し、貿易に深刻な混乱をもたらし、皮革の供給は政府によって管理されました。

 戦争状態にあった英国は、イギリス空軍へシープスキンの衣類、ブーツ、手袋の供給を『C.F.Stead』やその他の英国メーカーに依存しました。

 

 『C.F.Stead』は伝統的なレザーから現代的なスエード製品への移行を開始し、それが今日でも会社を支えています。

 『C.F.Stead』の独創的な高品質スエード製品群に発展し、その評判は今日でも受け継がれています。

 

1940年から1950年

 1950年代は低迷していた皮革貿易に新たな困難をもたらしました。

 『C.F.Stead』は経営不振に陥り、限界に達していると噂されました。

 Ernest Crackが常務取締役として抜擢され、低迷する事業の立て直しをする任務を受けました。

 彼は人気のあるラインに注力するために落ち目のラインを取り除く組織の再編にすぐに着手し、会社の運命の転換点を担った事で広く知られています。

 

 クレジットカードの新たなマーケットにより、革製の財布メーカーは標準化された溝の導入を余儀なくされました。

 このマーケットのブームにより、大衆にとっては高品質の革製品を入手しやすくなり、売り上げが増加しました。

 髪は横分けで「Brylcream」で後ろに流し、レザージャケットとジーンズを合わせて。

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1950年から1960年

 「スウィンギング 60年代」は、リーズで大規模投資プログラムが開始されただけで無く、革製品の需要が増大しました。

 King's RoadとCarnaby Streetのファッションシーンによって刺激されたのです。

 革のミニスカートと太もも丈の革ブーツを履いた女性は「Fab」で「In Thing」でした。

 

 この10年間は、英国の他の多くの皮なめし工場が閉鎖される中、『C.F.Stead』はYorkのStrensallにある皮なめし工場をさらに買収するなど、拡大の時期でもありました。

 

1960年から1970年

 皮革市場がますますグローバル化し始めると、『C.F.Stead』は、フィレンツェで開催された初期のイタリア見本市に参加し、自社のスエードをより広い世界に広めました。

 

1970年から1980年

 ハードコアパンクが台頭し、ワッペンやレザーアクセサリーが当時の若者を飾り、他とは違う見た目を求めるニーズがファッション界に波紋を広げました。

 実験はどこにもありますが、それは皮革産業にも当てはまります。

 

 『C.F.Stead』は潜在顧客が自社のスエードを利用して常に変化するファッションカラーについて考察できるよう、シーズン毎にエレガントなパターンブックを作成し始めました。これを最初に行った会社です。

 

1980年から1990年

 アイコニックなDr.Martensは、非常に不安定なパンク期の後に主導権を握ったグランジとともに、英国ファッションシーンを資本化しました。高品質なレザーと快適なパデッドソールの組み合わせは、ファッションに敏感で快適さを求める一般の人々に人気のシューズとなりました。

 『Stead』はDr.Martensに新しいWaxy CommanderとReppelo製品を供給していて、どちらもDr.Martensの主力製品として続いています。

 

 『C.F.Stead』は、90年代後半に輸出部門の女王賞を受賞しました。この賞は今日まで同社の誇りです。

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1990年から2000年

 2000年代には、『Stead』がなめしの専門知識をアンテロープ科の様々な皮に適用しはじめ、その最初の皮がCuduでした。

 『C.F.Stead』は地域社会の利益のためにアフリカの数カ国の人々と緊密に協力して、毎年行われる野生のレイヨウの駆除で生成される皮を入手し、自然の傷を利用した、柔らかさと強さを兼ね備えた、2つとして同じ皮の無い、ユニークな製品を作っています。

 

現在

 極東へのラッシュが弱まり、ブランドは皮革の品質と産地にあらためて注目しています。

 その結果、『Stead』はヨーロッパやアメリカや日本のトップグレードの靴やバッグのメーカーへのスエードの卓越したサプライヤーとしての地位を強化しています。

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感想

 という事で、

 創業者Carles.F.Steadがリーズで起業し、

 『Wilson & Walker Ltd.』のタナリーを引き継いでオリジナルの革を製造し始めたのですね。

 

 その後、

 時代の荒波を乗り越える中で、スエード事業を強化して、現在に至ると。

 やはりファッションの隆盛はレザーの需要に大きく影響するのですね。

 

 また、前回登場した「Cudu」は2000年代に入ってから登場していましたね!

 

 今回はここまでです。

 ではでは。

 


 


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