こんにちは。
今日も晴れました。
日中は割と暖かかったかな。
暦の上では春なのでしょうが、
実際の肌感覚としては、もう少し先に見えてきたかなぁ、という感じでしょうか。
そろそろ春の靴とファッションが気になってきますね。
・・・ファッション好きからしたら遅い、ですよね。
歳が増えてくるとこんな感じなもので、、、。(苦笑)
とはいえ、スプリングコートを着ておられる年上のレディを見かけると、背筋伸ばさないといけないかなぁと思ったりもします。
ともあれ、
あらためて今年の春夏と最近発表された秋冬のファッションショーを参考にしようと、思いのままに書いています。
前回は『GUCCI』でした。
春夏がアレッサンドロ・ミケーレの最後のショートなり、
彼を欠いた秋冬はチーム体制で作られました。
個人的には秋冬もそんなに悪くなかった(偉そうでごめんなさい)と思いました。
そして、ロック音楽が良かった!
ロック音楽といえば、
『CELINE』の2023年春夏コレクションでも。
エディらしいロックスタイルが増えてきたように思います!
個人的に印象的なのは、ブラック(色)、緩いトップスに細いボトムス、ネックレス、かな。
テーマは『DYSFUNCTIOAL BAUHOUS』です。
意味は「機能不全なバウハウス」となるでしょうか。
バウハウスは僕も雑貨にハマっていた時に聞きかじったことがあります。
あらためてWikipediaを読ませて頂きました。(感謝)
第一次世界大戦後にドイツ革命が勃発しドイツ帝国が崩壊。大公の統治が終わりヴァイマル共和国が成立しました。
1919年、ヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどをを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校が「国立バウハウス・ヴァイマル」です。
初代校長はヴァルター・グロピウスが就任し、バウハウス創立宣言が出されました。その中で「芸術家と職人の間に本質の差はない。階級を分断する思い上がりをなくし、職人の新しい集団を作ろう」と呼びかけました。
1925年にデッサウへ移転し、「市立バウハウス・デッサウ」となりました。
校舎を設計したのはグロピウスで、あの有名な建物ですね!
グロピウスは1928年に校長を退き、後継者にハンネス・マイヤーが指名されました。
マイヤーは唯物論の立場から「Bauen(建築、構築)」を唱え、全てを規格化・数値化・計量化し、合目的性・経済性・科学性を徹底的に重視させました。
マイヤーは公然たる共産主義者であったこともあり、バウハウスはナチスら右翼勢力に敵視されるようになります。
1930年にマイヤーは解任され、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが校長に就任しました。
1932年にデッサウ校は閉鎖し、首都ベルリンへ移転して私立学校となりました。
ミース・ファン・デル・ローエの方針はマイヤーの「バウエン」を継承しつつも、政治色を払拭するものでした。
1933年にナチスにより閉校される前にミース・ファン・デル・ローエによって解散されました。
無駄な装飾を廃して合理性を追求するモダニズムの源流となった教育機関であり、現代社会の「モダン」な製品デザインの基礎を作り上げました。
19世紀までの装飾性に富んだ歴史主義建築などとは異なり、バウハウスの芸術家が生み出したデザインは極めて合理的かつシンプルなデザインであるため、機械的な大量生産に適していました。
現代までに、コンクリート製の建築物や、家具のデザイン、ユーザーインターフェース、写真の自撮りやコラージュ、ブロック玩具など、バウハウスが発明した合理性を追求したデザインは現代人が意識する必要が無い程に日常化したと言えます。
ということです。
グロピウスと言えば、『Rosenthal』のTACシリーズを思い出します。
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独創的ながらもシンプルな白磁食器です。
また、ミース・ファン・デル・ローエと言えば、家具が思い出されます。
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有名なバルセロナチェアが発表されたのは1929年なのですね。
もう直ぐ100年って、、凄っ!
・・・
ファッションの話は??
・・
「DYSFUNCtIONAL BAUHOUSE」のインスピレーションは、アーティストのRenata Petersenの作品からだそうです。
こちらの記事を読ませて頂きました。
ドイツの芸術学校・バウハウスの系譜を継ぐシンプルで幾何学的なラインを支持しつつ、そこに歪みやねじれが生じることを警告する芸術的なムーブメントに影響を受けている
との事です。
今回はここまでです。
ではでは。