こんにちは。
今日は曇り時々晴れ、時々雨、でした。
夏の天気なのか、秋の天気なのか、なんなんだろう??
前回の続きです。
『リーボック』のランニングシューズを取り上げようとしているのですが、
その前に、歴史を確認しています。
歴史
こちらの記事を読ませて頂きました。(感謝)
前回は、
1958年の社名変更(『Reebok』誕生!)から、
1986年のスポーツ用品ブランドとして全米ナンバーワンのセールス達成まで、
でした。
80年代には数々の名作が誕生していますね!
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1989年、「THE PUMP」が発売されました。
この画期的なバスケットボールシューズの最大の特徴は、
シュータン上部に配されたバスケットボール型のコンプレッサーをポンプすることで、
アッパー内部に設けられたチャンバー(空気室)に空気が注入されフィット感を増す、
という、これまでにないフィッティングシステムでした。
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1990年以降、スニーカー業界における技術革新は加速度的に速まっていきました。
特に顕著なのが最新テクノロジーがいち早く投入されるランニングカテゴリーでした。
そうした中で、当時まだ注力されていなかった通気性に着目し、より軽量で速く走れるプロダクトを追求したのが「Ventilator」です。
アッパーサイドには優れた通気性のウィンドウメッシュを使用。
新開発の軽量衝撃吸収素材「Hexalite」を採用したソールにより 、軽快な履き心地を実現。
土踏まずのアーチ部分には耐久性の高いTPUを使用する事で着地から蹴り出しの安定性を高めました。
のちに人気ラッパーのケンドリック・ラマーがコラボモデルのベースに選んだ事でストリートで最注目されました。
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1991年、「Pump Omni Zone Ⅱ」が発売されました。
1989年に登場した「THE PUMP」に搭載されたポンプテクノロジーは、トゥ部分を除くアッパー全体のフィット感を調整できる革新的なフィットシステムでした。
ただ、全てのアスリートがアッパー全体のカスタムフィットを望んでいない事が分かり、
シュータン部分にのみチャンバーを配したミッドフットポンプが生まれました。
それを搭載したバスケットボールシューズです。
「ボストン セルティックス」のディー・ブラウンが着用し、
自身の順番が回ってくるたびに儀式のようにポンプする姿が全米に生中継されました。
優勝を決めた彼の目隠しダンクと共に、ポンプは強烈な印象を残し、知名度とセールスも急上昇しました。
1992年、ルイジアナ州立大学からNBA「オーランド マジック」にドラフト全体1位で指名されたシャキール・オニールと大型契約を結びました。
以後、オニールは『リーボック』の顔として長期にわたって活躍しました。
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1994年3月、「INSTA PUMP FURY」が発売されました。
アッパー内部に納められたブラッダー(空気室)をアッパーと一体化させることで、名作「THE PUMP」から更なる進化を遂げた「INSTA PUMP テクノロジー」によるフィッティングシステムが採用されました。
鮮やかなイエローにレッド&ブラックという大胆なカラーパレット。
軽量化のためにミッドソールのアーチ部分を取り払い、屈曲性も高めた前後分割型のスプリットソール。
開発チームが掲げた「世の中に存在しないデザインを生み出す」という野心的なコンセプトを具現化したシューズは、全てが前衛的なまでに斬新なアイディアで構築されていました。
しかし、異質過ぎる存在としても見なされ、デビューした年のセールス状況は芳しくないものだったそう。
転機が訪れたのは翌1995年。
英国の雑誌『cut』の表紙でビョークが着用して話題になったのです。
ライバルの『NIKE』も「AIR MAX 95」を電撃リリースし、両モデルともに人気が爆発しました。
実は初代「ポンプフューリー」には2タイプあります。
「プロトタイプ」は、アウトソールのフォアフット部分にシトロンカラーのラバーパネルを使用していました。
しかし、柔らかくてソールも劣化しやすいという問題点が判明。
発売から半年後には、耐久性に優れたブラックのラバーソールへと変更され、いくつかのディテールもマイナーチェンジされて最発売されました。
1995年末、第2世代の「INSTA PUMP FURY」が発売されました。
初代登場からわずか9ヶ月後という早過ぎるアップグレードです。
この辺りの情報は以前『Maison Margiela』とのコラボモデルを取り上げた時に書きました。
今回はここまでです。
ではでは。
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