こんにちは。
今日は曇り気味の晴れでした。
夏日が続いています。
今年も宮崎県の立派なマンゴーを頂いたのですが、
その宮崎県をはじめとした地域で大きな地震がありました。
怖い思いをされ、まだ不安が続いておられる事と思います。
注意をしつつ、収束してくれることを願っています。
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前回の続きです。
『GIORGIO ARMANI』のスリッポンについて取り上げようとしています。
まずは、ブランドの歴史からチェックしています。
アルマーニの歴史 (続)
こちらを読ませて頂きました。(感謝)
ジョルジオ アルマーニの歴史を“モードの帝王”アルマーニ自身の言葉と紐解く、独自のエレガンスとは? - ファッションプレス
前回は、
1965年から『ヒットマン』のメンズウェアのデザインに携わったところから、
1975年に独立して自身のブランド『ジョルジオ アルマーニ』を立ち上げ、
ハリウッド映画『アメリカンジゴロ』の衣装提供などで大成功をおさめて、
派手なファッションが流行した1980年代においても自身のスタイルを貫いて評価を高めた、
ところまで書きました。
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『ジョルジオ・アルマーニ』の立ち上げから10年後の1985年、セルジオ・ガレオッティがエイズにより息を引き取りました。
この死はアルマーニにとって想像以上の痛手で、家族経営的な『ジョルジオ・アルマーニ』の屋台骨を失った事はブランドの空中分解を意味していたのです。
ガレオッティの死後、多くの重要なスタッフがアルマーニを去っていきました。
しかし、ジョルジオ・アルマーニが凄いのは、ガレオッティの抜けた穴を自分で埋めたという事です。
これまでクリエイティブな部分だけに専念していたアルマーニですが、1年かけて自社の研究を行い、経営まで掌握してしまいました。
一瞬は崩壊の危機に陥ったブランドですが、すぐに急成長路線を取り戻し、さらに売上を伸ばし続けました。
アルマーニグループの再編にも取り組み、提携メーカーに依存していた生産を脱却して自社生産にも乗り出しました。
この頃から妹のロザンナや姪のシルヴァーナもブランドの中で大きな役割を示すようになっていきました。
フランチェスコ・コッシーガ大統領からイタリア共和国功労勲章グランデ・ウッフィチャーレを授与されました。
映画『アンタッチャブル』でアカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされ、
スペインのクリストフル・バレンシアガ賞の受賞など、
次々と栄誉を手にしました。
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激動の80年代を乗り越えた先には、新しい時代の到来がありました。
ラグジュアリーブランドの落ち込みが顕著になり、明らかに時代の転換点が訪れました。
『クリスチャン・ラクロワ』のような新しいスターを探し求める傾向にあり、アルマーニはすでに最先端と呼ばれるようなブランドではなくなっていました。
しかし、自身のタイムレスなスタイルを貫き、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートから名誉博士号を贈られました。
ハリウッドスターがアルマーニを好む傾向はますます強まり、オスカー賞の授賞式などはアルマーニ一色になっていき、「アルマーニ賞」と揶揄されるほどでした。
1991年、『A/X ARMANI EXCHANGE』がスタートし、第一号店がニューヨークのSOHOにオープンしました。
生産拠点をアジアにおいて若年層をターゲットにしたブランドです。
1990年代に最も活気のあった市場はアジアで、1997年には日本を訪れ、中国にも進出を果たしました。
1998年には『タイム』誌による「今世紀の100人」に選ばれました。
この中にはル・コルビジェ、ピカソ、ビートルズ、チャップリンといった錚々たる顔ぶれが並んでいました。
1999年、アクセサリー部門を創設しました。
また、eコマースサイトを立ち上げました。
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従業員は2500人を越え、成功の頂点にいました。
販売網は世界中に広がり、『ジョルジオ・アルマーニ』、『エンポリオ・アルマーニ』の直営店だけでも200店舗近い規模になりました。
取扱アイテムも、メンズ、レディース、ジュニア、ジーンズ、アンダーウェア、スイムウェア、スポーツウェア、アクセサリー、アイウェア、フレグランス、ネクタイ、時計、シューズなど多岐にわたりました。
唯一面白いのは、ほとんどのラグジュアリーブランドで主力となっているバッグや財布などのレザーアイテムをほとんど販売していないという事です。
あくまで主力製品は服というのがアルマーニのこだわりです。
LVMHやPPR、プラダグループなどのラグジュアリーブランドの買収合戦真っ只中で、アルマーニはこうした荒波を無風状態で駆け抜けます。
ここまでくると、アルマーニはもはや伝記上の人物のようになってきます。
アルマーニの映画界への貢献を讃え、イタリアのオスカー賞とされるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞しました。
2000年、『ジョルジオ アルマーニ コスメティックス』と『アルマーニ カーザ』をスタートしました。
同年、ニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館でアルマーニの服500点以上を収めた回顧展「ジョルジオ・アルマーニ展」が開かれました。
その後数年をかけて、スペインのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ、イタリアのローマ国立博物館、東京、LA、上海、ミラノと世界を駆け巡りました。
2001年、「アルマーニ テアトロ」をミラノ南西ポルタ・ジェノヴァ地区にオープンしました。
デザインは日本の建築家 安藤忠雄で、アルマーニの求める機能性と純粋なスタイルにマッチした、まさにアルマーニを象徴するような建物です。
2002年、スイーツを展開する『ARMANI DOLCI』をスタートしました。
2004年、『アルマーニ ラグジュアリーホテル&リゾート』を設立しました。
同年『エンポリオ アルマーニ』のスポーツライン『EA7』をスタートしました。
2005年、オートクチュールライン『GIORGIO ARMANI PRIVE』を発表しました。
2006年、メンズのオーダーメイドライン『GIORGIO ARMANI HANDMADE TO MEASURE』をスタートしました。
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2007年、『ARMANI RESIDENCE』をスタートしました。
2010年4月27日、ドバイの『ブルジュ ハリファ』内に『アルマーニ ホテル ドバイ』をオープンしました。
2011年11月10日、ミラノの中心街モンテナポレオーネ通りに面した『マンゾーニ通り』にホテル2号店となる『アルマーニ ホテル ミラノ』をオープンしました。
2018年、ワンストップな消費者体験という思想から、『アルマーニ・ジーンズ』と『アルマーニ・コレツィオーニ』を『エンポリオ・アルマーニ』に統合しました。
『オートクチュールライン』、『ジョルジオ・アルマーニ』、『エンポリオ・アルマーニ』、『アルマーニ・エクスチェンジ』と、価格帯に応じたスタイルを提案し、ラグジュアリーファッショングループでは屈指の経営基盤を誇るブランドへと成長しました。
加えて、化粧品、インテリア、ホテル&リゾート、レストラン、カフェ、バー、チョコレート、花など多岐に渡り事業を展開しています。
今回はここまでです。
ではでは。
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