こんにちは。
今日は曇りでした。
暑さも多少・・・、
強い日差しが無いだけ・・・、
という気持ちでなんとか凌いでます。
パリ五輪、日本代表選手達の活躍は凄いですね!
メダルを獲得した選手も、悔しい結果となってしまった選手も、
眩しい程に輝いています!!
ここまで積み重ねてこられた努力の尊さを感じます。
前回の続きです。
今季はスリッポンが、
特に「王道の次」と言えそうなスリッポンが、
気になっています!
という事で、
様々なデザインのスリッポンを見ています。
次は 、室内靴を思わせるスリッポンを取り上げようとしています。
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前回は、僕がスリッポンに注目している理由、室内靴に関する話、について書きました。
16世紀のヨーロッパでは男女問わず普段靴としてレザー製のパンプスを履き、
19世紀中頃にフォーマルな室内靴としてオペラパンプスが誕生し、
更に、アルバート公がベルベット製の室内靴を履かれた事で、
日常の室内靴という面が加わったようです。
その上で、
僕はあくまで外履きを想定しているので、
レザー製の室内靴寄りなスリッポン
に注目して取り上げて行きたいと思います。
そういう意味では、
16世紀のヨーロッパのような感覚に近いのかも!??(笑)
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それでは靴を見ていきましょう!
まずはこちらのブランドからです。
GIORGIO ARMANI
『GIORGIO ARMANI)』はイタリアを代表する世界的に有名な高級ブランドですね!
唯一無二のアルマーニスタイルがあり、現代の気分にもフィットしているように思います。
これまでイタリアのファッションについて書いた中で名前をあげさせて頂いた事はありましたが、
靴を取り上げた事やきちんとフォーカスした事はありませんでした。
という事で、
まずは歴史からです。
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アルマーニの歴史
こちらを読ませて頂きました。(感謝)
ジョルジオ アルマーニの歴史を“モードの帝王”アルマーニ自身の言葉と紐解く、独自のエレガンスとは? - ファッションプレス
1934年、ジョルジオ・アルマーニはイタリア北部のピアチェンツァに生まれました。
姉のシルヴァーナはジョルジオが生まれた時には亡くなっており、
ロザンナは後にジョルジオと共に働くことになります。
戦時中に幼少期を過ごし、唯一と言っていいほどの楽しみは映画でした。
この映画がジョルジオの豊かなイメージを育む手段にもなっていました。
しつけにも厳しく、子供たちを甘やかさなかった母親ですが、
戦時中のの無い時代にも軍服やパラシュート生地のコロニアルをうまく使って兄妹の服を作っていました。
こうした服やファシスト党員だった父親が着ていた制服などがアルマーニファッションの原点になっています。
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高校時代のジョルジオはまだファッション業界への道は見えていませんでした。
しかし、当時から明らかに他の生徒とは違う美意識を持っていました。
他の生徒が親から見繕ってもらった服を着ていた時に、折り返しのないズボンやカットソーを着て、さらに行きつけのテーラーまであったのです。
それでも、アルマーニが志した道は医学でした。
この頃の閉鎖的な環境では、医者か弁護士というのが相場だったのです。
しかし、アルマーニは3年の時に退学し、とりあえず兵役につくことにしました。
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兵役中は休暇のたびに職探しをしていました。
幼馴染にその悩みを打ち明けるとミラノの大手百貨店リナシェンテで人材を募集していることを教えてくれました。
1957年に兵役を終え、『リナシェンテ』に入社しました。
当時の『リナシェンテ』はまだも物を売るだけの百貨店でしたが、ちょうど生まれ変わろうとしていました。
そんなタイミングでアルマーニが入ったというのはとても運の良いことだったのです。
アルマーニは『リナシェンテ』で多くの仕事をこなしました。
建築家ジャンカルロ・オルテッリのアシスタントとして、ショーウィンドウのデコレーション、紳士服の買い付け、写真家のアシスタントなど多岐にわたりました。
アルマーニが最もその才能を発揮したのが紳士服の買い付けでした。
買い付けたのはロンドンから輸入したツイードのジャケットとコーディネートするベストです。
こうしたい仕事を通じてアルマーニは徐々にその才能を開花させていきました。
今回はここまでです。
ではでは。
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