こんにちは。
今日は晴れて、暑かったぁ、、、。
思わず、梅雨、あけたの???
雨もほとんど降らないし。
それでは、キャップトゥダービーの話に戻りますね。
初回はキャップトゥダービーの現状について思うところを書きました。
キャップトゥと言えばオックスフォード(内羽根)、
ダービー(外羽根)ならプレーントゥ、
というのが一般的ですよね。
長い時間を経て認められてきた「エッセンシャル」なデザインですから。
でも、僕が取り上げているのはキャップトゥでもダービーです。
どうにも気になってしまうこのデザインには、どんな魅力があるのだろう!?!?
まずは「ダービー(外羽根)」について調べてみましょう。
こちらの記事も読ませて頂きました。(感謝)
「ダービー」という名称は競馬に由来すると言われていますよね。
その競馬のダービーというイベントを始めたのが、
イギリスの第12代ダービー伯爵エドワード・スミス・スタンリー氏だそうです。
伯爵とダービーのエピソードについてはWikipediaにも記述があります。(感謝)
そして、本題の靴の「ダービー」です。
よく言われるのは、羽根の形状が競馬の出馬ゲートに似ているから、というものですね。
でも、もう一つ競馬に由来(?)する話があります。
第14代ダービー伯爵エドワード・スミス・スタンリー(1799-1869)です!
ダービーを開催した第12代伯の孫にあたり、同じ名前ですね。
伯爵が暮らした19世紀当時は内羽根が主流でした。
しかし、伯爵は体が大きく、足も広く大きかったようで、、、内羽根は満足できなかったようです。
そこで、伯爵の靴職人は伯爵の足によく会う外羽根のブーツを作る事にしました。
この創造的な靴職人のおかげでダービーシューズの初期の祖先が生まれたそうです。
競馬に由来・・というよりも、まさかのダービー伯爵繋がり!(驚)
因みに、初めて「ダービー」について言及された資料についての情報がこちらの記事にありました。(感謝)
ダービーカットについては1862年に「Dunkleyの台帳」に言及があったそうですが、「side sprung boots」を説明するためだったと。(どういう事??)
そして、1872年に「St Crispin's Magazine」で新しい靴紐の締め方(?)として言及された事は大きな転換点でした。
縫い目が足の柔らかい箇所の近くに無い事はオキソニアンより優れていると。
そして、
更に別の由来が初回でもご紹介したプロイセン軍のブリュッヒャー将軍です。
1815年のワーテルローの戦いでしたね。
つまり軍靴です。
この2つのエピソードは興味深いですね。(楽)
というのも、第14代ダービー伯爵は貴族です。
しかも、3度首相を努めた人物なのだそう。
その人物が外羽根のブーツを履かれていたとなると、
ブリュッヒャー将軍による軍靴とはまた意味が違いますよね!?
すなわち、これはドレス感に関わるポイントなのではないかと!!?(笑)
とはいえ、
バルモラルの由来であるアルバート公は、王族であるヴィクトリア女王の夫でPrinceですから・・・。
ちょっと反則技(?)ですよね。(笑)
内羽根と外羽根の位置づけの違いはどうしても・・・ね。
今回はここまでです。
ではでは。