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さり気なく、華やかに、シングルモンク。 (105)Stefano Bemer 歴史

 こんにちは。

 今日は曇りで、気温もグっと下がりましたね。

 冬ほどではありませんが、寒さを感じるくらいでした。

 まだしばらくはウールのカーディガンが活躍しそうですね。

 

 イタリア靴のシングルモンクを取り上げています。

 すっかりイギリス靴が主役となり、イタリア靴に触れる機会が少なくなって久しいのですが、あらためて往年のイタリア靴を見、できるだけ近年のモデルも伺っています。

 

 『SUTOR MANTELLASSI』の次はこちらのブランドです。

Stefano Bemer

 『ステファノ・ベーメル』です!

 目にできる機会はそれほど多いブランドではありませんが、近年では伊勢丹靴博で拝見できました!

STEFANO BEMER (Men)/ステファノ ベーメル ダービープレーン 5381 クロ 靴【三越伊勢丹/公式】

 ご覧の通り、イタリアの超高級靴ブランドですね!!

 まずは歴史からチェックしましょう。

歴史

 こちらの記事を読ませて頂きました。(感謝) 

Inside Stefano Bemer

フィレンツェの靴作りの伝統を次世代へ“ステファノ・ベーメル” | THE RAKE JAPAN | The Modern Voice of Classic Elegance

ステファノベーメル : STEFANO BEMER - ファッションプレス

#ステファノベーメル (STEFANO BEMER)ー ブランド図鑑vol.1… | Shoes box

【インタビュー】<stefano bemel/ステファノ・ベーメル>2代目当主 トマゾ・メラーニ|不世出の靴職人を継ぐ人々 | RECOMMEND | 伊勢丹新宿店メンズ館 公式メディア - ISETAN MEN'S net

 

 

 創業者のステファノ・ベーメルはイタリアのキャンティ州グレーヴェという町で、10代の頃に靴の修理と磨きの仕事をしていました。

 ある日、地元の貴族に仕事を褒められ、彼が所有していたジョン・ロブのビズポークシューズのコレクションを見せてもらったそうです。

 靴の修理だけでは無く、それ以上の可能性を感じたステファノは靴職人になる事を決意します。

 そして、フィレンツェの職人の下で靴作りの勉強をし、技術を習得しました。

 日中は生業としていた靴修理の仕事をし、夜は靴職人の弟子として通う二重生活を二年近くされたそうです。

 

 氏が自身の名を冠した靴をフィレンツェの工房で作り始めたのは1987年の頃で、当初はビスポークによる受注生産のみの極めて小規模な靴作りをしていました。

 しかしながら、その靴は瞬く間にイタリアのうるさ型ファッション関係者たちから称賛の声を得ました。

 名店『タイ・ユア・タイ』のオーナー、フランコ・ミヌッチ氏のほか、ジャンフランコ・フェレ、アンディ・ガルシアフリオ・イグレシアスらもいたそうです。

 さらには識者が認めた一級の工芸品のみが集う「DAギャラリー」にも永久展示されました。

 

 エキゾチックレザーで創意溢れる一足を作ったかと思えば、クラシックなカーフで自然な外羽根の靴を作ったり、靴に対する愛情から生まれる造形と圧倒的な作りの良さで「革の魔術師」と呼ばれ、世界中にファンを生み出しました。

 

 そして2000年には待望のプレタポルテを開始しました。

 これまでの既成靴の概念を見事なまでに裏切る手間と時間をかけた「馬鹿」が付く程丁寧な作りは、実際に靴をバラした写真と共に紹介されています。

 また大の親日家としても知られており、プレタポルテの第一号店は日本で開かれ、その成功を機にアメリカなどへも活躍の場を広げていきました。

 

 しかし2012年、ステファノ・ベーメルは仕事中に倒れ、わずか48歳の若さで死を遂げてしまいます。

 

CASETiFY

 その後、靴職人の友人であったTommaso Melani(トマゾ・メラーニ)は、ステファノの妻クリスティーナに声をかけ、ステファノが築き上げた独自のスタイルとクラフツマンシップを維持し、会社を成長させる事でその名を称えようという計画を提案しました。

 

 靴職人の世界では知らぬ者はいないメラーニのファミリーは60年以上も前から『Scuola del Cuio(スクオーラ・デル・クイオ)』を運営していました。

 『スクオーラ・デル・クイオ』はフランシスコ会の修道士と協力して設立されたレザー工房で、貧しい人々や戦争孤児に技術と商売を教えるための学校でもありました。

 メラーニは、『ステファノ・ベーメル』と『スクオーラ・デル・クイオ』の融合を提案しました。そして次世代の職人を養成する事を考えました。

 

 こうして、トマゾ・メラーニと、ステファノの右腕として活躍していた二人の日本人職人である坂東雅子、井俣久美子が靴作りを継承しました。

 

 メラーニはベーメル社の代表につき、自分なりのアプローチを試みました。

 まず着手したのが工房の移転と拡充でした。

 それはアウトワーカーをひとつ屋根の下に集め、生産能力と品質を向上させるためでした。

 『ステファノ・ベーメル』が常に高い評価を得てきたビズポークラインを維持しつつ、それまでは小規模で、ほとんど外注に頼っていた既成靴やメイド・トゥ・メジャーのラインを拡大し、完全に自社内で生産することで、メゾンの生産量と知名度を新たなレベルへと引き上げました。

 

 立て続けにスクールの開校にも踏み切りました。

 技術の継承はもっとも大切なミッションで、工房の充実には人材が欠かせないから、と。

 

 こうして土台を固めると、今度はコレクションにもメスを入れました。

 ステファノが遺した4つの木型に2つを加えました。

 トランクショーで世界を飛び回るなか、足の形状という観点において足りないと感じていたものだそうで、クリスティーナとともに作り上げたとの事。

 

 

感想

 『ステファノ・ベーメル』は「最高級靴読本」等でも掲載されている事もあり、日本でも知名度のある高級靴ブランドだと思います。

 

 この点、イタリア靴で「ステファノ」と言えば、『ステファノ・ブランキーニ 』も有名ですよね。

 そしてブランキーニの方がオリジナリティーが強い印象で目立ちますよね。

 そういう意味では、ブランキーニの影に隠れた感もあったのかなと思われます。

 

 対して、ベーメルはオーソドックスなスタイルやクラシカルなスタイルが主流だと思います。

 そのようなスタイルをベースに、独自のセンスがさり気なく効いた大人のドレスシューズという印象がします。

 ブランキーニ程の派手さはありませんが、クオリティーの高いエレガントなドレスシューズとして魅力がありますね。

 

 作りもハンドラスティングにハンドソーンウェルト製法です。

 メンテナンスをしながら長く履ける上質な靴と言えるのではないでしょうか。

 

 今回はここまでです。

 ではでは。

 


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