こんにちは。
今日も晴れました。
そして夜は雨です。
昨夜の地震から夜が明けて、東北を中心に被害も出てしまいましたね。
東京であのくらいの揺れでしたので、、、。
地震の後に雨というパターンも何度も続いているような気がします。
安全は当たり前ではないと、またしても思い知らされますね。
前回の続きです。
『Silvano Lattanzi』のシングルモンクを取り上げ・・ようとしています。
その前に、歴史をチェックしています。
歴史
こちらの記事を読ませて頂きました。(感謝)
シルバノ・ラッタンジ / Silvano Lattanzi ブランド情報(歴史,店舗,通販等) | ファッション 服DB
前回は、
創業者のシルバノ・ラッタンジ氏は1950年に生まれ、
靴職人の両親の下、9歳で靴職人の道を歩み始め、
さらに『エンドレス社』で経験を積んだ、
ところまででしたね。
そこから『エンドレス』について横道に逸れ、
同社のハウスブランドである『PREMIATA』が90年代イタリアファッションを牽引していた件を書きました。
では、今回です。
1971年、21歳で独立し自身の工房『ZINTALA(ジンターラ)』を設立します。
『ZINTALA(ジンターラ)』は「クラシコイタリア」を牽引しました。
その『ZINTALA』のトップラインが『Silvano Lattanzi』です。
1974年に初のコレクションとなる24の衝撃的なモデルを発表しました。
まだ世の中が黒や茶の靴ばかりを履いていた時代に、赤や黄、緑などを巧みに取り入れたそうです。
当時の靴の写真が掲載されている記事を見つけました。(感謝)
色もさることながら、ダービーやブローグやローファーで、コバも張り出していて、クラシカルなカジュアルな靴が多いですね。
今あらためて履いてみたい靴ばかりですね!(美)
1975年には権威ある「Qualita Italia賞」を受賞します。
1992年、ローマに1号店をオープンします。
工房は自然豊かなマルケ地方のアンコーナにあります。
高台にある工房の眼下にはひまわり畑が、その先には牧草地帯が広がり、遠くを見ればアドリア海が静かに横たわっているそう。
ラッタンジが好んで用いる鮮やかな黄、乾いた緑、どこまでも深い青は、目の前に広がる風景そのもの。
彼はデザインをしているのではなく、靴をキャンバスに見立てて、まさに描いている、と評されていますね。
そうしてイタリアの風土を伝えているのだと。
アートを表現するための手は必然のことで、だからラッタンジの靴は職人の手で、匠の技を駆使して一足一足作られています。
その作りに関しての記述も興味深いですね。
シルバノ・ラッタンジは「少数の人のために限定した量の品物を作る」こと、「機械化が進む中で、ゆっくりと靴を作る」ことなどを質の卓越性であると考えておられます。
それを実現するためには「職人の手が心や気持ちと一体化していないときには作業を中断する」と言い切っておられるそう。
「ちょっとした製品の欠陥は手作りの証拠だ」という風潮を嫌い、
「上質」とは完璧さ、精密さを求めて作られた靴のことであり、それを実現できる方法こそが「手作り」であると考えているそうです。
たとえ「大量生産が目的ではなく、人間の手作業だけでは正確な仕事ができないから機械を導入している」という理由であっても、シルバノ・ラッタンジにとっては同じことなのだとか。
イタリア製にこだわり、工房では靴やラスト、裏地、皮革などの入荷と出荷が行われています。
また、装飾品や細かい金属部品なども全てその工房で作られています。
因みにセカンド・ラインの『ZINTALA』では機械も使われているようです。
さしずめリトグラフといったところであろう、と評されていますね。
当時の様子についてのお話が聞ける動画を見つけました。(感謝)
貴重な情報やお宝靴を拝見できて嬉しいです!!
当時の状況について書かれた記事を見つけました。(感謝)
日本では1980年代後半に『Zintala』が登場したそうです。
その後『Silvano Lattanzi』が紹介されると値段は30万円超え!(ヤバイ)
ローマの直営店でも22万円という破格値だったそうです。(怖)
因みに、当時最高峰と言われた『EDWARD GREEN』2足分に相当するとの事。
更に因みに、『Stefano Branchini』はラッタンジのすぐ後に登場したそうです。
当時のイタリア、凄過ぎますね!!!
ラッタンジの先見性は、手縫い注文靴のプロセスを既成靴に導入した事なのですね。
注文靴を作る技術があっても客の注文がなければ仕事はありませんが、
その技術を既製の木型に乗せて売れば値段が高くてもヒットするという確信があったに違いないと。
当時(90年代)のイタリア靴について考えていると、
同じく手作りで少量生産していた旧『BONORA』を思い出しますね。
ジョンロブ(パリ)の上級ラインも製造しましたが、2003年頃に倒産しました。
その後、復活したようですが、かつてのような手作りでは無いようです。
どうやら当時の既成靴は手作りにもかかわらず、価格はそれ程高く設定されなかったようですね。
品質と価格と販売力と、、、経営の難しさですね。
また、『ENZO BONAFE』も手作りの少量生産ですね。
こちらは今も素晴らしい靴を作り続けておられます!!(尊)
価格帯は『Silvano Lattanzi』より抑えめで、『Crockett&Jones Hand Grade』よりもう少し上くらいでしょうか。
そして、2000年頃からイギリスやフランスの老舗靴ブランドを筆頭に、ビスポークの要素を取り入れた既成靴が作られ、高級靴ブームが起きました。
思い返せば、その端緒は90年代のイタリアにあったのではないでしょうかね??
話を戻します。
驚いたのは当時の旧『BONORA』の既成靴をルーマニアのサンクリスピンが製造していたという情報です。
Made in Italyでは無かったんだぁ・・・。
だからあの価格帯だったのかなぁ???
旧『BONORA』製のジョンロブ既成靴はどうだったのでしょうね???
そして、近年の『MARMOLADA』のマウンテンブーツ。
ラルフローレンのデザインチームに見出されたのですね。(学)
その人気に乗って『Paraboot』の「AVORIAZ」も人気となり、フランス等のメゾンブランドからもマウンテンブーツが出ていますよね。
やはり、イタリアファッションの先見性は衰えていないという事でしょうか!!?
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今回はここまでです。
ではでは。