こんにちは。
今日も晴れました。
相変わらず空気が冷たいですね。
前回の続きです。
イタリア靴のシングルモンクに入る前の「まくら」が思いの外(?)長くなってしまいました。
・・・いつもの事、でしょうかね??
今度こそ本当にイタリア靴編を始めます!
最初は「Stefano Branchini」です。
「まくら」でも少し触れましたが、1990年代に登場したステファノ・ブランキーニ氏はドレスシューズ全体にとっても大きな貢献をされたのではないかと個人的には思っています。
Stefano Branchini
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現行モデルと思われます。
かつてのような強い個性は抑えられ、ドレス感の高い印象ですね。
でも、やはり「らしさ」も感じられ・・
の前に、
ブランドについての説明からです!
こちらの記事を見つけました!(感謝)
1953年
ボローニャの農業コミュニティであるベンティヴォーリオで生まれました。
父ヴィットリーノ・ブランキーニは才能のある靴職人で、彼の貴重な教師であり指導者でした。
13歳で靴作りを始めたそうなので、1966年からでしょうか。
熱心に見習いをしていた時から、スタイリストでありデザイナー、そして靴の起業家になるという複雑で魅力的な職業を実行したいという明確な決意をもっていたそうです。
17歳で父親が技術顧問を務める『a.testoni』に入社したそうなので、1970年でしょうか。
1978年
「Testoni Shoe Factory」のスタイルデザインに関する責任者となります。
1989年
妻のPatrizia Grossiと共に、『Branchini Calzoleria』、『Stefano Bi』、『Holiday』の各ブランドを立ち上げました。
これらのブランドは将来の『Stefano Branchini』ブランドの先駆です。
製品の製造と流通のために、高いレベルの手作り製品や手作り靴、そして比類のない美的品質を保証できるダイナミックな構造を備えた『Stefano Bi srl 靴工場』がフェラーラに設立されました。
『Stefano Bi srl靴工場』は、ベルルッティ 、ディオールのメンズ、ジバンシィのメンズなどのブランドの製造メーカーとしても運営されています。
『STEFANO BI』はスクエアトゥのブームを牽引し、折からのクラシコイタリア・ブームの波にも乗り、一気にメジャーブランドとなりました。
その影響力は絶大で、独特のデザインは数多の模倣を呼びました。
1994年
『Stefano Bi srl靴工場』は、パリのLoui Vuitto LVMHに完全吸収されます。
1995年
ボローニャのスタジオラボに『Onda Corporation』会社を設立します。
同社は、『Branchini Calzoleria』、『Stefano Branchini』および『Trofeo』ブランドの作成、製造、管理、及ぼ搬送を担当しています。
コバが大きく張り出し、アッパーとコバの淵を走る独特のステッチが強い個性を現すノルベジェーゼ製法は圧倒的な存在感と芸術的な美しさで一世を風靡しました。
そのノルベジェーゼ製法ラインは世界で唯一カデノン製法を習得しているジョゼッペ・ベッタニン氏の工房に制作を依頼していたのですね。(学)
因みに、
『BRANCHINI CALZORERIA』はオールハンドメイドのハイグレードライン、
『Stefano Branchini』はマッケイ製法など、
『TROFEO』はカジュアルライン、
です。
STEFANO BI
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『STEFANO BI』についてもう少し書き足します。
1990年に創業し、1994年にLVMHに売却されましたよね。
それからの『ステファノビ』について書かれた記事を見つけました。(感謝)
LVMHの一員となり、徐々にスクエアトゥで無骨な印象のブランキーニ色を薄めていき、よりエレガントなメーカーへと変わっていきました。
そして、ベルルッティのOEMをしていたという話も出ていますね。
こちらの記事にも言及がありました。(感謝)
ルイ・ヴィトンの靴やベルルッティ、ア・テストーニの靴も製造しているのですね!(驚)
更に、ビスポークシューズブランドである、パリーニ、ピエール・コルテ、オーベルシーのプレタポルテも手掛けているそうです!!
僕が注目したのは、やはりベルルッティです!(笑)
当時(1994年)のベルルッティといえば、オルガ女史が活躍していた黄金期ですよね。
彼女が生み出す芸術的な新しいデザインを形にする高い製靴技術を持っていた工場が『STEFANO BI』だったという事でしょうか。
考えてみれば納得です。
だって、そもそもステファノ・ブランキーニの靴を作る技術を持っていたわけですから!
同時期を見渡してみると、ジョン ロブ(パリ)もエドワード グリーンの工場を買収していましたね。
ビスポークシューズブランドが本格的にプレタポルテを展開する上で、高い技術力のある工場は不可欠なのでしょうね。
プラダによるチャーチの買収も1999年頃でしたよね。
こちらは既成靴メーカーであるチャーチのブランド力を強化していく方向です。
2000年頃から高級靴ブームの流れが大きくなった背景には、やはり事前の準備があったのでしょうね。
あらためて、『Berluti』の高級既成靴を製作する工場を作ったのがステファノ・ブランキーニだったという因果に感慨を覚えます。
その後の高級既成靴ブームにおけるブランキーニ氏の貢献はやはり大きいように思いますね。(尊)
ブランキーニに戻ります!
1995年から大旋風を巻き起こした『ステファノ ブランキーニ』ですが、その後はイギリスやフランスの靴ブランドに押されて行ったように思います。
すなわち、エルメス資本のジョンロブ、LVMHのベルルッティ、プラダ資本のチャーチをはじめ、クロケット&ジョーンズやトリッカーズ、J.M.ウエストンやパラブーツ等です。
日本でも直営店が出来たり、百貨店やセレクトショップでも見る事が増えていったと思います。
それらに対して、イタリア靴ブランドの勢いは落ちていったような・・・。
とはいえ、やはり他に変え難いオリジナルな魅力を持ったイタリアブランドは生き残っていますね。
ブランキーニも都内では百貨店本店の高級靴コーナーで健在です!
今回はここまでです。
ではでは。
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