こんにちは。
今日は小雨が降ったり止んだり、
不安定な一日でした。
梅雨空の感じとはまだ違うかな??
前回の続きです。
今季の僕はファッションとしての白いテニスシューズが気になります。
そのお手本的なブランドとしてグッチとセリーヌを取り上げました。
そしてもう1つ、フレンチファッションをリードし続けているこちらのランドも気になります。
SAINT LARURENT SL01
それは今のアンソニー・ヴァカレロのサンローランが好き、
というよりも、、、(謝)
ブランドに対する僕の個人的イメージとして、サンローランからフレンチトラッドへと繋がるように思うからです。
どういう事かと言いますと、、、
まずはざっと歴史を見てみましょうか。
とても有名で重要なブランドなので、情報も沢山ありますね。
次の記事を読ませ頂きました。(感謝)
女性文化史にも大きな影響を与えたYSL! 天才デザイナーの軌跡を辿るイヴ・サンローラン美術館が パリとマラケッシュで同時開館。 – French Culture Magazine
才能
1936年8月1日11時15分、創業者のイヴ・サン=ローランはフランス領アルジェリアのオランで生まれました。両親は保険会社で働く中産階級の家庭だったそうです。
子供の頃にパリ17区へ引っ越しました。
17歳の時にパリ・クチュール組合学校に入学し、IWS主催のデザインコンクールでドレス部門の最優秀賞を受賞します。その時の審査員だったVOGUEのディレクターがイヴをクリスチャン・ディオールに紹介します。
1953年、クリスチャン・ディオールへ入ります。
1957年、ディオールの死によって、イヴは21歳でディオールブランドの主任デザイナーとなります。
作品
1958年、「トラペーズライン」が発表されました。
それまでの女性を強調する曲線を描いたドレスから一転して、膝まで真っ直ぐ広がる台形ラインは、素直で活発な新しい時代の女性像を表現しました。
1960年、アルジェリア独立戦争で戦っていたフランス軍に徴兵されます。そこで神経衰弱となり精神病院施設へ入ります。
1962年、ディオールを去ります。
そして、芸術後援者で恋人のピエール・ベルジェの出資により、自身のレーベル『イヴ・サンローラン (YSL)』を設立します。
1962年、「マリンルック」が発表されました。
船員や水夫の実用服をアレンジしたデザインによってファッションに昇華させました。
1965年、「モンドリアンルック」が発表されました。
オランダの抽象画家ビエト・モンドリアンの作品にインスピレーションを受けたデザインで、アートとファッションを融合させました。
1966年、「スモーキング」が発表されました。
男性用のタキシードをアレンジしてクールな女性用のスーツを仕立てました。
男性服が女性服にアレンジされる先駆けとなったパンタロン・スーツのデザインにより細身でスタイリッシュなスタイルが確立されました。
1966年、『イヴ・サンローラン』のプレタポルテ(既製服)ラインとして『イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ』のブティックをパリに開設します。
1968年、「サファリルック」が発表されました。
元々ハンティングの際に男性が着る服を女性用のスーツとして改良しました。
サファリジャケットがファッションとして確立されました。
後継
1993年、パリで「デ・ドール賞」を受賞。
同年、ブランドはサノフィ・ボーテ社に買収されます。
1997年、男性服のディレクターにエディ・スリマンが就任します。
1998年、『SAINT LAURENT JEANS』を発表し、エディ・スリマンがデザイナーを任されます。
1999年、ピノー・プランタン・ルドゥート(PPR)社がサノフィ社を買収します。
『リブ・ゴーシュ』と香水・コスメ部門はPPR系列下のグッチに売却され、グッチグループの一因となります。
イブ本人とオートクチュール部門はPPR傘下に残りました。
2000年、リヴ・ゴーシュの婦人服デザイナーであったアルベール・エルバスが辞任。
男性服のディレクターであったエディ・スリマンも辞任します。
2001年、S/Sよりリヴ・ゴーシュのデザイナーにトム・フォードが就任します。
イヴはフランスでシラク大統領よりレジオンドヌール勲章コマンドゥールを授与されます。
2002年1月22日、イヴはパリ・オートクチュールコレクションを最後に引退しました。
10月31日、パリ16区アヴェニュー・マルソーのアトリエが閉店し、オートクチュール部門が閉鎖されました。
2004年、トム・フォードが辞任します。
2005年、ステファノ・ピラーティがクリエイティブ・ディレクターに就任します。
2007年、イヴはサルコジ大統領からレジオンドヌール勲章グラントフィシエを授与されました。
2008年6月1日、ガンのため逝去しました。71歳でした。
2012年、エディ・スリマンがクリエイティブ・ディレクターに再就任します。
今回は女性向けと男性向けともに指揮を執ります。
2013年、ケリング・グループ保有会社となります。
2016年、エディに代わりアンソニー・ヴァカレロがクリエイティブ・ディレクターに就任します。
感想
オートクチュールの時代から活躍し、プレタポルテの時代にフレンチエレガンスを世界に広めた偉大なデザイナーですね。
メンズウェアやワークウェア、ポップアートやエスニックなどから着想を得て、洗練されたファッションを生み出しました。
従来の固定観念を打ち破る革新的なデザインは、新しい時代をリードしたと思います。
イブ・サンローランは女性のためのファッションですが、その影響は男性のファッションにも及んでいったように思います。
「マリン」や「アート」、「スモーキング」から繋がるスタイリッシュなスーツ、「サファリ」、などは、男女問わずその後のフレンチファッションの定番スタイルになっていますよね!!(偉)
そのレガシーは後継デザイナーに引き継がれ、ブランドを発展させてきました。
トム・フォードはグッチで大きな名声を得ましたが、YSLについては賛否両論あったようですね。
エディ・スリマンは2度もYSLに関わり、特にDior Hommeを大成功させた後で戻ってきた2度目にはサンローランブランドを作り上げました。
個人的には、イヴ・サンローランのデザインが現代フレンチファッションの土台となっているのではないかとさえ思います!
ですので、フレンチファッションの「フレンチ」な要素を強く感じるブランドだと思っています。
そして、フレンチトラッドなファッションにおいても「フレンチ」な要素がポイントとなるのですが、それを考える時のお手本としてサンローランは外せないですね!!
余談
イヴ・サンローラン氏のエピソードに、親交の深かった黒人モデルのナオミ・キャンベルの話がありました。
VOGUE FRANCEの表紙に黒人モデルが起用されなかった時代、彼女が初の黒人モデルとして表紙を飾るための援助があったようですね。
今でこそ様々な人種やジェンダーのモデルが活躍していますが、その道を開拓された功績は大きいです。
今回はここまでです。
ではでは。