こんにちは。
今日は雨でした。
湿気もあって、、、蒸し暑くなってきましたね。
じわじわと梅雨が近づいているのかなぁ。
先日『ファッション 通信』を観ていた時に、「ステラ・マッカトニー」のコレクション映像で流れていた曲が気になりました!
Overmono Everything U Need
不思議な感覚の音で、凄くハマってます!(新)
では、前回の続きです。
前回はアリシア・キーズさんの『ノーメイク宣言』について書きました。
いろいろな考え方があると思いますが、僕なりに考えたのは、
行き過ぎた業界の慣習(?)に対する問題提起、
メイクをしなければならないという社会の意識に対する問題提起、
なのかな、でした。
未だにああでもないこうでもないと考えてしまう問題ですが、
先へ進みながら考えますね。
そして、本題は大坂なおみ選手の会見拒否について、でした。
今日もそれに関するメディア記事が上がっていました。
今更僕が言うのもナンですが・・・
騒がれる事事態が彼女にとっては辛いのかもしれませんね、、、。
でも、素直に、理解してくれる人達もいる、応援してくれる人達がいる、一緒に戦ってくれる人たちがいる、と受けとめてもらえたら。
そういう人たちが声を上げられたのも、大坂選手の勇気ある一歩のおかげではないかと思います。
では、僕も考えます。
僕が驚いたのは会見を義務化しているという事。
確かにトップ選手には大会や競技のイメージに及ぶほどの大きな影響力があるので、模範となるメッセージを出される事はテニス界にとっても大切な事でしょう。
ただ、それはあくまで期待するくらいまでではないかなと、、、。
罰金を課してまで要求するというのは、選手自身の自発性を損なう危険もありますし、上辺だけの形式的な回答をもらっても一体何のためのインタビューなんだか??
それはもはや選手本来の姿では無いですよね。
言葉による説明やコミュニケーションが得意な選手もいれば、そうで無い選手もいるでしょう。その場合、前者が優れた選手で後者が劣った選手と言えるのでしょうか?
それとも、苦しい時、悲しい時、怒っている時でも素晴らしい対応ができるスター選手であるべき、それができないなんて許せない、となるのでしょうか。
ダメな僕からすればもはや超人的な人格だと思います。(沈)
また、たとえ素晴らしい人格を持っていたとしても、それを流暢な言葉で表現できるかどうかはまた別の問題なのかなとも思います。
芸術家だったか、旅人だったか、職人だったか、企業人だったか、、、
誰の言葉だったのか忘れてしまったのですが、(申し訳ない&悔しい)
「言葉が一番伝わらない」
という言葉が今も僕の中に残っています。
今こうして書いている僕が言うのもナンですが、その通りだなぁと。(難)
言葉で伝えるためには技術が必要で、それこそプロがいるくらいなので、それを身に付ける事は大変だと思います。
その点、トップ選手というのは、プレーによって表現をし、言葉を超えて伝える事ができる特別な能力を持ってます。
それで良いのでは。
もし、コミュニケーションの苦手な選手が、その場しのぎの形式的な模範解答をしているとしたら、それはもはや操り人形ですよね。
今回の件でコメントを出されている選手の中には、それを承知の上で応じておられ、そういうものだと受け入れている内容もありますね。
一体、誰のために、何のために、それを演じなければならないのかと疑問が湧いてきます。
それもプロの仕事だと言うのであれば、作られたイメージ戦略、行き過ぎたプロスポーツの姿なのかなと。
もちろん、作り込まれたイメージ戦略があるからこそ、多くの人々の興味を集め、沢山のお金が集まる訳で、トップ選手も巨額の報酬が得られますし、その業界で働く人々や周辺の人々も仕事を得られます。
そのシステムの一端を壊しかねないのが今回の会見拒否問題なのかもしれません。
また、そのシステムに慣れてしまい、それが当然だと思ってしまっている世間の認識もありますよね。
これらがアリシア・キーズさんのノーメイク宣言と似た構造なのかなと思いました。
たまたま今季の僕は真っ白なスニーカーについて関心が向いていて、テニスシューズの歴史についてざっくりと調べている中で、テニスの歴史も少しだけ知りました。
そもそもは上流社会の中のスポーツで、その後アマチュアスポーツとして広がっていったようです。ウィンブルドンをはじめとする四大大会も1968年までプロ選手へのオープン化には否定的でした。加えて、ウィンブルドンの服装規定(白ルール)は今でも厳格に適用されているそうですが、1972年の全米オープンが白ルールを緩和してから他の大会もその流れに沿って行きました。
アマチュアリズムの精神には崇高なものもありますが、一般の人もスポーツに専念できるためにはプロ化が必要で、プロ化によって競技が進化してきた事は確かでしょう。
そしてプロ化によって競技に流れ込む恩恵も大きくなりました。
しかし、得られるものが大きいが故に、失われるもの、犠牲となるものに目が向けられないのかもしれませんね。
ここは価値観が問われる問題なのかもしれません。
個人的には、もし罰則を課すのであれば、それはテニスが求める精神に違反する言動に対してであるべきかなと思います。
それは選手側だけで無く、メディアや業界関係者に対してもです。
お互いがテニスを通じてより良い世界にしていこうという思いが無ければ、良い関係性は築けないのではないでしょうかね。
その環境を作るのが大会運営者や協会の目的であってほしいなぁと思います。
そこに罰則が必要なのかどうかは・・・どうなんでしょう。
資本主義によって大きく膨らんだ業界の中で、
何か行き過ぎてしまっているのではないか?
何かおかしな事になっているのではないか?
という問題提起がなされているのかもしれませんね。
そこで成功して大きな恩恵を受けている人が、それを失うかもしれない、場合によってはそれ以上のリスクがあるかもしれない中で、大きな一歩を踏み出しました。
アリシア・キーズさんの一歩からは5年くらい経ち、当初の様相から少しは彼女に対する視線や人々の認識が変わったかもしれません。
大坂なおみ選手の一歩はまだ熱気の最中にあるので、今後どのようになるのか分かりません。
世の中の「価値観」に変化が起きようとしているのかもしれませんね。
何より、また大坂選手の活躍が観たいです!
ではでは。