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真っ白なテニスシューズを履きたい気分(6)歴史④ 普及と進化

 こんにちは。

 今日の天気はちょっと荒れ気味でした。

 時折吹く風が強くて・・・。

 

 白スニーカーの話に戻ります。

 テニスシューズの歴史を調べています。

 18世紀のイギリスから始まり、

 19世紀の加硫ゴムの発明、

 そして20世紀初頭のアメリカまで来ました。

 

 整理すると、

 19世紀半ば頃にチャールズ・グッドイヤーが硫化ゴムを発明し、

 コルチェスター・ラバー・カンパニーが世界初と思われるバスケットボールシューズを作っていたらしく、

 USラバー・カンパニーに買収された後ケッズが誕生しました。

 その翌年にはコンバースがオールスターを発表しました。

 いずれも量産化とともに人気が広まり、アメリカを代表するクラシックスニーカーになりましたね!!

 

 では、参考にさせて頂いているこちらの記事(↓)に戻ります。(感謝)

tennisconnected.com

 今回の舞台は20世紀前半のヨーロッパです。

 

 アディダスは1931年にテニスシューズに参入したそうです。

 同社は1930年にはアッパーにレザーを導入していたとの事。

 

 この点について、アディダスの歴史をwikiりました。(感謝)

アディダス - Wikipedia

アドルフ・ダスラー - Wikipedia

プーマ - Wikipedia

 ドイツ帝国バイエルン王国フランケン地方のヘルツォーゲンアウラハで靴職人をしていた父クリストフ・ダスラーと小さな洗濯屋を営んでいた母パウリーナの子が、兄ルドルフと弟アドルフです。

 1920年、靴職人としての訓練を受けたアドルフは第一次世界大戦から帰還すると、母の洗濯室でスポーツシューズの生産を始めました。

 1924年、兄ルドルフが事業に加わり、『ダスラー製靴工場(Gebrüder Dassler Schuhfabrik)』が設立されました。

 ルドルフが販売担当、アドルフが製造担当だったそうです。

 1928年、アムステルダムオリンピックで多くのアスリートに良質なシューズを提供し、会社の国際的発展の礎を築いていきます。

 1930年にヒトラーが台頭し、第二次世界対戦が始まり、兄弟の仲は悪くなっていったそうです。

 1936年、ベルリンオリンピックではアメリカ合衆国ジェシーオーウェンスにシューズを提供し、4つの金メダルを獲得します。

 事業は波に乗り、年間20万足を販売するまでになりました。

 1948年、会社は解消されます。

 その翌年、弟アドルフが設立したのが『アディダス』、

 兄ルドルフが設立したのが『プーマ』です。

 

 という事は、1930年頃はまだダスラーであって、アディダスでは無いですよね・・・!?

 

 これまでのテニスシューズ(≒スポーツシューズ)は、キャンバスのアッパーにラバーソールでしたよね。

 そもそもはイギリス海軍のデッキシューズだったようなので、水に濡れても構わない素材として丈夫な綿織物が選ばれたのではないでしょうか??

 1930年頃にあらためてレザーを導入したのがダスラーだったのですね。

 ダスラーのレザー製テニスシューズがどのような靴だったのか、あれこれググってみたのですが、、、分かりませんでした・・・。(悔)

 

 因みに、

 現在、アディダスのレザー製テニスシューズといえば、

 スタンスミスですよね!!

 むしろスタンスミスがクラシカルなテニスシューズ系スニーカーのお手本ではないかとさえ思えます。

 後でしっかり取り上げたいと思いますので、今回は名前だけです。

 

 また、オリンピック選手が履くスニーカーを作っていたというのも注目ポイントです。

 それぞれの競技に適した専用スニーカーが開発・製造され、テニスシューズ一種類だったスニーカーが遂に進化を始めます!

 特にドイツのレベルは高かったようで、世界を席巻したようです。

 そしてアディダスは世界一のスポーツブランドにまで成長しましたよね。(凄)

 今でも世界のトップを競う巨大ブランドです!

 

 もちろん、名作スニーカーも沢山作りました。

 こんな記事も見つけました。(感謝)

www.fatbuddhastore.com

  アディダスの歴史に残る代表作が並んでいますね。

 テニスシューズを探すと・・・

 やはりスタンスミス!!

 

 今回はここまでです。

 ではでは。


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