こんにちは。
今日は曇りでした。
昨夜の雨もあってか、久しぶりに暑さも少し和ぎました。
前回は、イギリスのフルブローグ代表として、
トリッカーズのバートンについて書きました。
カントリーシューズの歴史そのものとも言えそうな、
フルブローグの名作ですね!
さて、
フルブローグの英国靴でもう1つ外せないブランドがありますね?
それはChurch'sです!
チャーチには定番のフルブローグが3つもありまして、
しかも、いづれも名作と言っても過言では無い靴なのです!!
「GRAFTON」、「BURWOOD」、「CHETWYND」ですね。
ブランド的にちょっと変遷もあるのですが、(苦笑)
やはりチャーチの定番靴である事に変わりはないでしょう。
という事で、チャーチのフルブローグについて書いてみます。
まずはチャーチの歴史から見てみましょう。
以下の資料を参考に書いていきます。
チャーチの歴史は創設者の曽祖父であるアンソニー・チャーチにまで遡ります。アンソニーは1617年にノーザンプトンで生まれ、靴作りの名匠となりました。
アンソニーの技術と威信は曽孫トーマス・チャーチへと受け継がれました。
1873年5月1日、トーマスは妻エリザと2人の息子、アルフレッドとウィリアムとともにノーザンプトン・メープルストリートにて小さな工場を設立し、ここにチャーチが誕生しました。ここは1880年にデュークストリートの広大な敷地へ拡張されるまで使われました。
この当時、靴に左右の別は無く、真っ直ぐなものでした。
そこでウィリアムは靴に左右の別を作りました。
また、幅やハーフサイズといったサイズ展開、素材のバリエーションも設けました。
この革新的な発明によりチャーチは1881年にロンドンで行われた靴の大展示会で金賞を獲得します。
20世紀が終わりに近づく頃、ウィリアムは海外市場に目を向け、南アフリカ、ベルギー、フランス、イタリア、ドイツ、オーストリアハンガリー帝国に代表を送りました。
父親のトーマスは1892年に引退します。それから2年後の1894年、会社の大規模な再編をしてデュークストリートの工場は6階建ての近代的な工場に再建されました。
1907年にはアメリカとカナダの市場にも参入しました。
1910年にはRord&Taylorのようなアメリカの小売業者に特別なラストを提供し、アメリカ中西部やカナダ全土へ広がっていきました。そうして全国へと広がっていきました。
1913年にはジョージ王とメアリー女王がノーザンプトンを訪れた際、チャーチはロイヤルプリンセスへ贈る靴を作成する名誉を得ます。
1919年、チャーチはSATRA(British Shoe and Allied Trades Research Association)の創設メンバーとなります。
1921年、ロンドンに最初のブティックをオープンしました。
1925年にはSATRAを通じてノーザンプトンテクニカルカレッジを設立しました。
1929年、ニューヨークのマディソンアベニューに海外初のブティックをオープンしました。
因みに、この頃に誕生した靴にChanghaiがあったそうで、少し前に復刻されて話題になりましたね。
第二次世界大戦を乗り越えた1957年、セントジェームス通りに新工場が開設されました。(現在の本社です。)
1965年、エリザベス2世女王がチャーチを訪問し、優れた輸出功績が認められて女王賞が授与されました。この功績によって、国際的な靴業界におけるチャーチの名声は更に上がりました。
同年、日本では大塚製靴がチャーチの輸入を開始しました、
1999年、チャーチが国際的なブランドとして躍進するという目的のためプにラダグループに買収されました。ブランドが持つ遺産とマーケティング戦略を組み合わせ、チャーチは更に進化していきました。
2001年にミラノとパリ、
2002年にローマとサンモリッツ、
2003年にニューヨーク市、
と世界の主要都市に次々と出店していきました。
2013年、東京・表参道に日本初の旗艦店がオープンしました。
あれこれと細かい事まで書いてしまいました。
チャーチの歴史はあまり見かけないので、つい。(苦笑)
チャーチはイギリス王室との接点がありましたが、未だにロイワルワラントへの申請をしない姿勢を貫いていますね。
また、早くから左右の足に合わせた形や、レングスとウィズでサイズ展開を広げたりと、足にフィットする靴作りに取り組んでいますね。そして研究機関や育成機関の設立にも尽力していましたね。
チャーチには名ラストと言われる木型がいくつかありますが、こういう企業姿勢の賜物なのでしょうね。
日本では1965年に大塚製靴が輸入販売元となっていたそうですが、1999年のプラダ買収前後に手放したそうです。
この大塚製靴時代に日本におけるチャーチの知名度が高まったようで、おそらく百貨店などで憧れのインポートシューズとして鎮座していたのではないでしょうかね。
当時を知る方のお話も興味深いです。
ジョンロブなどが輸入される迄は、最高級靴だったそうですね。エドワードグリーンとの価格差もほとんど無かったとうのも凄いなぁ。
ゆえに、当時を知る世代は特に英国靴といえばチャーチというイメージが強いそうですね。
そして2008年以降は渡辺産業がディーラーとなり、同社店舗のブリティッシュメイドや百貨店・セレクトショップ、オンラインショップなどでもチャーチを見るようになりました。
あらためて考えてみると、大塚製靴時代のチャーチが所謂旧チャーチでしょうから、主要ラストも73でしょうね。
因みにチャーチの創業年である1973年からとった73だそうですよ。
更に因みに(笑)、73ラストの誕生は1940年だそうで、ConsulやDiplomatが1945年に登場したそうです。
プラダ買収後は過渡期に入り、主要ラストが100へ変わりました。
そして更に改良が加えられて現在の主要ラスト173が登場しました。
現在のチャーチのポジションとしては、高級靴でしょう。
この辺りについて、王道のキャップトゥで比べてみましょうか。
(注:2020年9月現在の定価です。)
ジョンロブのCITY2が192500円。
エドワードグリーンのCHELSEAが174900円。
この辺りが超高級靴でしょうね。
チャーチのCONSULは91300円。
クロケット&ジョーンズのハンドグレードラインAUDLEYは101200円(税込)。
クロケット&ジョーンズのメインコレクションCONNAUGHTは86900円。
この辺りが高級靴ではないでしょうか。
因みに、2010年発刊の『最高級靴読本4』では、
コンサルが80850円、オードリーが76650円となっています。
当時と今とで品質が同じとは限らないので何とも言えませんが、、、逆転してますね。(驚)
今回はここまでです。
ではでは。